第7話 捜査

 幸いなことに、由美の悩みは一つ解消された。悪質な淫夢に悩まされることが無くなったのだ。ベスを信用していたものの、彼女から渡された薬が効力を発揮してくれるかどうか不安だった。しかも「友人」が泊まりに来ていた……そんな夜に淫夢を見て、また「あんな事」になったら最悪だ。しかしそんな最悪な事態に陥ることもなく、由美は久しぶりに夢を見ることなく眠りにつけた。
 ただ彼女が夢を見なかったのは……夢を見る暇もなかったと言った方が正しいのかもしれない。
 一つの悩みは解消された。しかし由美の悩みは尽きることがない。むしろ増えているのだ。
「それでね、あの記者さん達が言ってたようにさ、まずは「学校の噂」から調査しない?」
 悩みの大元、内田たまきが満面の笑顔を振りまきながら由美に尋ねた。
「だからたまき……もっと慎重にね?」
 昨夜デビルサマナーになったばかりのたまき。彼女のテンションはずっとこの調子だ。そして彼女に課せられたデビルサマナーとしての仕事は由美と同じ……悪魔召喚プログラムの行方を追い、望む望まないにかかわらず悪魔の存在を知り関わってしまった者達を救済、あるいは警告を促す事。そもそもたまきも由美に「探されている側」であったのだが、今のたまきは由美と同じ「探す側」に立っている。
 そのたまきは仕事に燃えていた。熱心と言えば聞こえは良いが、このはしゃぎぶりを見て「熱心だ」と感心する者がいようか? 朝の騒がしい教室内で一人の生徒が浮かれている、しかも「あの」内田たまきがはしゃいでいる光景は日常茶飯事……だれも彼女の様子に不審など抱きもしない。そうと判っていても、事情を良く知っている由美は「悩み」としてこの現実をどうすべきか戸惑うしかなかった。
「昨日から言ってるけどたまき……判ってる? 一人の生徒が自殺して……それに悪魔が関わってるかもしれないの。はしゃいでる場合じゃないでしょ?」
「う、うん……そうだよね……ごめん、由美」
 何度も繰り返されている注意と謝罪。たまきに悪気がないのを理解している由美は、溜息をついて繰り返し浮き沈みするたまきの感情をコントロールする。ドラマなどで見ていた探偵じみた仕事を自分が行おうとしている、そんな好奇心くすぐる現状と、その調査対象が自殺した生徒であるという重い現実。そんな合間の中だからこそ、感情豊かなたまきは自分を抑えられないのだろう。
「……で、噂って昨日も言ってた話でしょ?」
「うん! とりあえず朝みんなにメールしてみたんだけど……ほら、色々「噂」があるのよ」
 シュンと沈んだたまきがすぐに笑顔を取り戻し、由美に自分の携帯を見せる。流石に先ほどまでよりもトーンを落としてはいるが、そんな彼女の立ち直りぶりを見ていた由美は乾いた笑いが出ないよう堪えていた。
「朝って……よくあんな短い間にメール出来たわね」
 たまきがデビルサマナーになった夜に、その興奮と由美の諸注意、またこれから行う「調査」のことなどを長い長い時間を掛け話し合った二人。夜通し話し続けた二人に睡眠時間の確保は難しく、定刻通りに朝起きるのは困難だった。パスカルが起こさなければ二人とも遅刻をしていたに違いない……つまり、起床してから食事をとり登校するまでの時間はとても短かったはずだ。にも関わらず由美が気づかぬ間にたまきは複数人に宛てたメールを作成し送信していたのだ。
「そう? これくらいたいしたことないと思うけどなぁ」
 メールに慣れているたまきにとって、端的にメール本文をまとめる作文能力やメールを打つ指先の技術は、筆記用具を握り黒板の内容をノートへ書き写すよりも簡単なこと。むろん由美も年頃の女性が持つ「嗜み」として携帯メールもやってはいるが、たまきほど頻繁にやり取りすることはなく、彼女のような「職人芸」は持ち合わせていない。
「まあいいわ。それでね、まだ返事が来てないのもあるんだけど……ね、結構色んな「噂」があるでしょ?」
 たまきのメールが手早かったのには、彼女がメールのやり取りになれているという理由の他にもう一つ訳がある。それは彼女が送ったメール本文がとても短い文でまとめられていたからだ。
 悪魔召喚プログラムって知ってる?
 この一文だけがたまきの携帯より様々な友人知人へ送られた。その一文に対する反応は、人の数だけ様々だった。
 悪魔召喚プログラムは、その名前だけが様々な「噂」になって広まっている。このプログラムが実在していると本気で考えている人間は極限られており、また本物のプログラムを手に入れた者はもっと限られている。だが「噂」としてだけなら誰もが知っているし、その噂……中に「本物」の情報を紛れさせながら……様々な話が「悪魔召喚プログラム」という「噂」として散らばっている。たまきはそれらの噂を、たった一文のメールを用いてかき集めたのだ。
「まだコレから具体的な話を教えて貰わなきゃダメだけど、この調子なら結構イケると思わない?」
 由美はたまきの手腕ぶりに舌を巻いた。探偵としての資質はあると指摘されていた彼女だったが、その資質をこうも簡単に開花させるとは……単純に「噂好き」が高じているとも言えるが、少なくとも由美には、そして本物の探偵である武にも出来ない芸当を今たまきが行っている。それだけは事実だ。
「あ、先生来ちゃった。とりあえずこの調子で噂を集めてみるね。昼休みに直接話を聞いたりしてくるからさ、放課後にでも一緒に相談しよ?」
 伝えることだけを言い残し、たまきはそそくさと自分の席へ戻る。ただハイテンションにデビルサマナーという「立場」を楽しんでいるだけではなく、責務を果たそうと頑張っている……それは確かだが、しかしその立場をシッカリ理解しているとは言い難い。たまきの持ち味は「行動力」なのだが、それは彼女の欠点にもなり得る……担任の話も聞かずメールを打ち続けているたまきを斜め後方の席から見守りながら、少々過保護な世話焼きの友人は溜息を漏らしていた。

 ミルクホール新世界は、悪魔を知るもの達が集う情報交換の場として知られている。だがあくまでソレは限られた一部の者達にとっての話であり、表向きはアーケード街の中にあるごく平凡な軽食店。その為ランチメニューもそれなりに充実しており、味の評判も良い。ただアーケード街の突き当たりに位置しているためか、客足は伸び悩んでいるようだが……ここが人気店になってしまうと「本来の活動」がし辛くなるのだから、「知る人ぞ知る店」でちょうど良いのだろう。
「なんだい、探偵ってのはトーストにブラックコーヒーってのが定番なんじゃないのか?」
 テンガロンハットを外しながら、来店したばかりの客が別の客に近づく。まだ他にも空席はいくらでもあるが、来客はケチャップライスを口に運ぼうとしていた男と同じテーブルに着いた。
「日本人なんだから米でしょ、米」
 箸ではなくスプーンで「洋食」を食べながら言うには「日本人なんだから」という言葉にちょっと説得力が欠けるように思えるが、応えた探偵は構わずスプーンを口へと運んだ。
「オムライスにカフェオレって……ずいぶんとデカイお子様ランチだよな、武ちゃん」
「だからちゃん付けは止してくださいよ聖さん。それにここはミルクホールですよ? カフェオレはここの看板メニューじゃないですか」
 看板メニューと言うだけあって、武のテーブルに置かれているカフェオレはコーヒーカップではなく専用のカフェオレボウルに注がれている。カップと違い取っ手がないため不慣れな者には飲みづらさを感じるだろうが、武のように「それっぽい」雰囲気を楽しむためにあえてボウルで飲む客は多い。わざわざミルクホールの名を店名に出す店主同様、武のように雰囲気をここで味わおうとする客が、このカフェオレを「看板メニュー」にしていったのだろう。
「まあいいけどさ……で、話ってなによ?」
 軽く右手を挙げ、店長に「いつもの」と合図を送りながら、聖は話を切り出した。聖を呼び出した武は片手でカフェオレボウルを掴み、一口唇を湿らせてから用件を切り出した。
「……軽高の一件、知ってること全部話してくださいよ」
 探偵らしからぬ直球の要望に、聖は目を見開き驚いて……いや、おどけてみせた。
「おいおい、それを調べてるのはコッチだぜ? 聞きたいのは俺の方だって」
 笑う聖に、しかし武は真顔で切り返す。
「由美に話を振ったのは、俺を動かすため……なんでしょ? 聖さん」
 口元はまだつり上げている聖だが、目は武の「それ」と似通ってきた。
「俺も聖さん同様「妖しいの」専門の探偵ですからね。その俺と親しくしている由美に「悪魔」の話をちらつかせれば、彼女の方から俺に働きかけ俺が動くと睨んだ……違いますか?」
 探偵の推理に、それでも聖の口元は緩まない。それは苦笑なのか緊張なのか……聖という男の性格を考えるならば、後者はあり得ないだろう。
「あまり褒められるやり方じゃないですね、聖さん。依頼なら直接俺に話してくださいよ」
 聖の狙いは武の推理通り。由美から「ネタ」が聞き出せればそれに越したことはないが、無理だとしても武が動き出すのではないか……聖の狙いはその通りになった。
 そもそも、由美も「この店」の常連客。彼女がどのような理由で「この店」の常連になったのかは聖も推理できていないが、1ヶ月ほど前から急に顔を出すようになり、そして「自分と同じジャンル専門」の探偵とつるむようになった。聖でなくとも何かあると思って不思議ではない。そこへ来て悪魔が絡む自殺事件……由美が通う高校の生徒となれば、彼女を通じて「ネタ」が得られるとライターの嗅覚が刺激されるのは至極当然の流れといえる。
「まあまあ……まあ確かに、ストレートなやり方じゃなかったな。悪かったよ。だけどな、直接武ちゃんに依頼して……受けてくれた?」
 聖の問いに、武は言葉を詰まらせる。自分から「直接言え」と迫ってはみたが、聖が指摘する通り、この事件の調査依頼は受けないだろう。もっと厳密に言えば、調査はするが聖の依頼として受けることは出来ない……この調査で知り得る情報は、聖のような「一般人」に伝えられるようなものではないから。
 二の句が継げない武の反応を見て、聖の口元が又ニヤリとつり上がる。
「ま、そういうこと……俺としては、「ネタ」になる話だけでもちょっと漏らしてくれればいいから。さじ加減は任せるよ」
 聖はズボンのポケットをまさぐりながら「交換条件」を提示する。そしてポケットから取りだした「物」を、ヒョイと軽く武に投げ寄こした。
「あ、中身抜いたら「ソレ」は返してくれよ? 俺って優秀なライターだけど、この腕に見合うだけのギャラ貰えなくて困ってるんだよね」
 指さしながら返却を求めた物は、USBメモリ。中にどんなデータが入っているのか、聖の口からは何一つ告げられないが……あえてこの場で言い出す必要もないのだろう。データを見れば判る事であり、何より……この「流れ」で、どんなデータなのかおおよその見当はつくのだから。
 武は黙って、メモリを自分のポケットへとしまった。だが本当ならば……色々言いたかった。聞きたかった。だが何をどう言葉にすれば良いのか、今の武には何一つ思い浮かばない。探偵とライターという似て非なる職種……片や新人、此方ベテラン。聖は武より、一枚も二枚も上手、それだけのことだ。
「……長いことこんな仕事してるとな、色々と見えてくる物があるんだよ」
 何か言いたげな若い武に、武よりは人生という経験を積んでいる先輩が、気持ちを察して言葉を贈る。
「そうでなくても「妖しいの」を追いかけてるだろ? だからさ……なぁんとなく、な。判る事もある」
 いつの間にか届けられていたコーヒーカップを手に取ると、聖はその中身を一口飲み、軽く息を漏らしながら講釈を続ける。
「メシア教にガイア教……その他ありとあらゆる妖しい噂……どれもただのオカルトって片付けるにしては、リアルすぎる。むしろ……」
 カチャリと、皿の上にカップが置かれる。一度武から外れカップに向けられていた視線が、再び武へと向き直る……その視線は、「何か」を射抜くような鋭さがあった。
「悪魔は実在する……そう「仮定」した方が、色々と説明が付くんだよ」
 不敵な笑み……とは、まさに今の聖が見せるこの表情。あくまで聖は悪魔を見ることが出来ない一般人だが、しかし信じるか信じないかはまた別の話、という事だ。
 何処まで知っている? 武はそう聞き出したかった。だがそれは越えてはならないタブー。
「ま、その方が良い「ネタ」が書けるってことだな」
 にやけた顔は続けているが、今の聖はいつもの……少なくとも武が知っている普段の聖そのものだった。
 何処まで知っているのか。何処まで関わっているのか。武が聖に聞き出したいことは、おそらく聖も武から聞き出したいこと。双方が関わる「領域」の中で、自分の立場を守りつつ探り合う……それが、二人にとって「良好」な関係。タブーを犯す、つまり相手の領域に踏み込んでしまえばこの関係は崩壊する。それは双方にとってけして有益な事には成らない。
「……記事になりそうな「ネタ」は、たぶん出てこないと思いますよ?」
 ようやく告げられた武の言葉。それを聞いた聖は、愛用の帽子をかぶり席を立つ。
「ま、それはそれで……「ソレ」は由美ちゃんへの慰謝料も込みって事でいいわ」
 席を立ちながらも、聖はまだ残っていたコーヒーを立ちながら飲み干した。
「あるいは、将来有望な探偵さんへの投資、かな。まあがんばってな」
 席を離れていく聖を見送りながら、武は唇を噛みしめる。目的の物は手に入れたが、それを素直に喜べる心情にはなれないだろう。何事においても全てが未熟……悔しさを滲ませてしまうのも、又未熟の表れなのかもしれない。

 情報は手に入った。次にすべきことは、行動だ。次の段階へと進むたまきの行動は早かった。
 友人知人へとばらまいたメールを手がかりに、たまきはもっと具体的な情報を得ようと休み時間などを利用して情報の「精度」を上げていった。後で見るかどうかも怪しい授業のノートは由美に任せ、たまきは授業の時間すら「有効」活用し、たまきは情報を大まかに四つへとまとめた。
 一つは問いかけたメールそのものの情報、つまり悪魔召喚プログラムに関する物。
 もう一つは、悪魔という単語が絡んでか自殺した男子生徒にまつわる噂。自殺したとされているその生徒が、死の間際に「悪魔が来た」などと口走っていたことは一部の生徒間では噂になっており、そんな情報が寄せられている。由美はこの噂を知らなかったのだが、たまきを初め「噂好き」の間では知られた噂。ただ誰も真剣にはこの噂を受け止めておらず、「尾ヒレの付いた与太話」程度の「ネタ」にしか思っていないが。だからこそとりとめて口にする者はそう多くなく、由美のように噂自体を知らない生徒も多いのだ。
 そしてこの噂に付属するかのように寄せられた、男子生徒がいじめていた狭間偉出夫(はざま いでお)に関する話が三つ目。噂と言うよりは、狭間に対する「愚痴」や「嫌味」といった類ではあるが、たまきは狭間に関する話も念のためにまとめていた。彼自身が悪魔と関わる人物かどうかは現段階では疑わしいのだが、何をしでかすのか判らないという「不気味さ」をたまきも感じていた。ただどの噂……というか「陰口」も、「最近更に怪しくなった」という一言でまとめられてしまう物だったが。
 最後の四つ目は、それこそ聖や朝倉が新世界で由美を探るために質問した「学校の怪談」にまつわる話。どこの学校にもあるように、彼女達が通う軽子坂高校にも怪談話がいくつかある。悪魔召喚プログラムというキーワードも、ある種「学校で広まった怪談話」と受け止められて不思議ではなく、ここ最近囁かれている怪談話もたまきの元へと流れていた。
「ほらなんだっけ、あの映画……黒ずくめでサングラスかけてさ、宇宙人と戦う奴。アレでも言ってたじゃない、「真実こそパルプ誌に隠されている」とかなんとか……」
「映画の話をされてもさ……」
 得意げに語るたまきに、由美がもはや「癖」になりつつある溜息を漏らしながら突っこみを入れる。だが映画こそフィクションでも、その言葉には重みがある。特に今の二人にとっては。集められた噂は、パルプ誌に書かれる根も葉もないゴシップのようなもの。だがこの中に真実が紛れている可能性もあり、それを狙ってたまきが噂を集めたのだから。
「で……悪魔召喚プログラムが本当にあるって?」
「噂だとね……とりあえず直接本人に聞いてみようよ」
 たまきがまとめた情報によると、悪魔召喚プログラム「らしき」ものを、電算部の部長が手に入れたという。そんなものが公に噂として広まっていること自体でこの噂の信憑性に欠けるのだが、たまきがまとめた情報によると悪魔召喚プログラム「だったりして」という程度の話でしかないようだ。だからこそ、噂もちょっとした世間話のように広まり、そしてたまき達も大手を振って悪魔召喚プログラムの話を直接所有者に尋ねられるのだ。
「そういえば、たまきは部活いいの?」
 電算部の部長を訪ねるならば、部活動中の方が互いに都合が良い。だが電算部が活動中の時間は、当然たまきが所属しているフェンシング部も活動中のはずだ。
「んー、別にいいよ。大会が近いわけでもないし、うちってそんなに強いわけでもないし」
 今のたまきにとっては、部活よりもデビルサマナーとしての仕事が大切。元々フェンシングも興味本位で始めたたまきにしてみれば、より興味のある「探偵ごっこ」を優先してしまうのも仕方のないところだろう。
 軽く座談を交えている間に、二人は目的の場所となる電算室にたどり着いた。教室名こそ古くさいが、様々な機器を導入するために改築された部屋は他の教室と比べれば真新しさがある。とはいえ改築されてからそれなりの年月は経過しているし、改築当初から最新の機器を導入していたわけではないため、やはり教室名同様の古くささが残るのは否めない。
「失礼しまーす……佐藤部長います?」
 まるで通い慣れているかのように、たまきが教室のドアを開け人を訪ねた。一つ一つのパソコンに向かっていた複数の視線が、一斉にたまきへと向けられた。
「ボクが部長の佐藤だけど?」
 七三に分けられた髪型、そして眼鏡。学生服を着ていなければサラリーマンに見えてしまいそうな出で立ちは、まさに文化部の生徒を代表しているかのようだ。そして彼は確かに、電算部の代表であった。
「入部希望……ってわけじゃなさそうだね」
 部長を務めるだけあってか、二人に近づく佐藤の対応はシッカリしている。だが下級生の女子生徒に対する対応には慣れていないのか、たまきの気さくな態度に対して、少々笑顔が硬い。
「部長が悪魔召喚プログラムを手に入れたって聞いたんですけど、本当ですか?」
 ダイレクトに、たまきが部長に尋ねる。元々噂で広まってしまう程度の事で、部長も隠しているわけではないのだから堂々と尋ねた方がむしろ怪しまれない。だが「本物」を知っていてこの態度を取れるかどうかは又別だろう。どうしてもどこかぎこちなさが出てしまうのが普通だろうが、性格なのか、それともまだ「本物」を理解し切れていないからなのか、たまきの態度対応は怪しさを微塵も感じない。
「ああ、アレの事か。悪魔召喚プログラムって噂になってる奴だよね? そんなオカルトな物じゃないと思うんだけどね」
 苦笑いを浮かべながら、電算部の部長は訪問者の要件に納得した。どちらかと言えば女生徒とは縁遠い部活である電算部に、不釣り合いなほど明るい女子生徒が尋ねてきた……それだけで部員がどよめく大事に発展しそうになっていたが、噂好きの女子生徒がその真相を確かめに来たとなれば、苦笑一つで「もしかして」という淡い期待をアッサリと払いのけられるだろう。
 部長以外の部員の半数は、既に視線をモニタへ戻して自分の作業に戻っている。残りの半数はそれでもまだ視線を二人へと向けていた……訪問に来た事情は判ったが、それでも校内でも何かと有名な二人にまだ何らかの未練と興味を向けてしまうのは、年頃の男の子ならば仕方ないのだろう。
「でもちょうど良いタイミングだったよ。そのプログラムをこれから解析しようと思ってたところなんだ」
 佐藤は視線で付いてくるよう二人を促し、部屋の一番奥へと進む。二人は黙って部長の後に続いた。様々な「好奇」の視線に晒されながら。
「君達が言ってるのは、コレのことだと思うんだ」
 部屋の奥、そして一番角。そこが佐藤の席。部長としてはあまりにも奥まった席を利用していると思われるが、自分の作業に最も没頭できる席だとも言える。佐藤は部長というスタンスよりも作業環境を選んだのだろう。
 その奥席にあるキーボード。その上にポンと無造作に置かれていた一枚の何か……黒い正方形板に紙のカバーシートが半分以上を覆っている。板の素材はプラスチックだろうか?佐藤がコレだよと軽く振ると、ペラペラと音を立て板が揺れる。
「なにそれ?」
 その問いかけに気を良くしたのか、まだ少し緊張気味だった佐藤の顔に笑みがこぼれる。
「コレはフロッピーディスクって奴でね。昔のパソコン用記録メディアだよ」
 佐藤が紙のカバーを外すと、板の中央に穴が空いているのが判る。良く見ると、板の中には更に薄い何か別の板状の物が入っているように見える。
「えっ!? でもフロッピーディスクってもっと小さくてもうちょっと厚くなかったっけ? どこかで見た覚えあるんだけど……」
 由美が自分の記憶を辿りながら疑問を口にする。その反応もまた佐藤の「オタク心」をくすぐったのか、より口元がつり上がった。
「それはたぶん3.5インチのフロッピーディスクだよ。これは5インチディスクって奴で、まだウインドウズも出てなかった頃の……ああゴメン。とにかく古い時代の物なんだ」
 得意げに知識を披露したがるのは、彼のような文系人間にはありがちではある。ただ彼は流石部長と言うべきか、「空気を読む」という事が出来る人間だった。ご自慢の知識を披露できずに寂しげな佐藤は、しかし二人のために要点だけを伝えていく。
「そんな古いメディアだから、今のパソコンじゃ解析も出来ないんだ。そこで、このフロッピーをこのパソコンで読み込める外付けフロッピーディスクドライブを八幡先生に自作して貰ってるんだ」
 パソコンの周辺機器を自作する、ということがどれほどの事なのかイマイチピンとこない女性二人は、へぇという感嘆の言葉一つでその話を終わらせてしまう。
「八幡先生って、電算部の顧問だったっけ?」
「そうだよ。その八幡先生が今日そのディスクドライブを持ってきてくれるハズなんだ」
 それが楽しみで仕方ない、と佐藤の声は明るく跳ねていた。
「でもさ……まだ中身も見てないのに、なんでそれが悪魔召喚プログラムだって判るの?」
 たまきの疑問に、部長はまた苦笑いを浮かべる。
「ボクはそんなこと一言も言ったこと無いんだけどね……たぶんコレのせいだと思う」
 佐藤はフロッピーディスクを二人に近づけ、貼られているラベルシールを良く見るよう指を差す。ラベルには円と線、そして解読できない文字……俗に言う「魔法陣」が書かれていた。
「ボクが思うに、これは昔のゲームか何かが入ってるんだと思うんだけどさ、オカルト好きの部員がその悪魔召喚プログラムなんじゃないかとか言い出してね……でもさ、その噂って最近広まった奴だろ? こんな10何年も前のメディアに入ってるはず無いだろ?」
 魔法陣は確かにソレっぽいが、佐藤の言うことはもっともだ。そうだねーとたまきがフロッピーから視線を外しながら同意し、由美も軽く頷いてみせた。
「でもそんな古い物、どこで手に入れたの?」
 本物かどうかは疑わしくなってきたが、調査は進めておきたい。たまきはさりげなくディスクの出所を探った。この質問に、佐藤は眉間にしわを寄せた。
「それがねぇ……」
 腕を組みだした佐藤の様子を、どうしたのだろうと女性陣が首をかしげる。
「言いにくいこと? 別に無理に答えなくても良いんだけど……」
「いや答えにくいというか……」
 由美の気遣いに、佐藤が濁しながらも言葉を返す。そして「まあいいか」と呟いた上で、ようやく質問に答えだした。
「これね、元々は狭間くんの物なんだ」
「狭間?「あの」狭間?」
 あの、という代名詞で通じる校内の有名人。その名を同じく校内の有名人たまきが繰り返した。
「うん……彼ね、よく勝手にこの部屋に来ては勝手にパソコンを使ってるんだ。ボクも八幡先生も注意はしてるんだけど……」
 注意を聞き入れるどころか睨まれる……佐藤はそこまで口にはしなかったが、狭間の態度がいかような物だったかは容易に想像が付く。
「この前、いつものように勝手にパソコンを使ってた彼がこれをキーボードの上に忘れていくところに出くわしたんだ」
 相手が狭間とは言え、忘れ物に気づきながら指摘しないのも気が引けるのだろう。佐藤はディスクを忘れているのを教室から出て行こうとしていた狭間に伝えた。そして返ってきた言葉が……
「くれてやる……って、それだけ言って行っちゃったから……」
 なんとも後味の悪い置き土産だが、しかしディスクそのものに興味のあった佐藤はこれを解析してみたいと顧問である八幡に相談し、外付けドライブの作成に取りかかった……という経緯まで軽く二人に伝えた。
「こういう言い方も何だけど……「あの」狭間くんが持ってたディスクだから、なにかあるのかなぁって」
 狭間は常日頃の言動とソレによって引き起こされるイジメが有名だが、学年トップの頭脳も有名。その彼がわざわざ古いディスクを持ち歩いていた……電算部部長でなくとも興味が湧く話だ。
「ふぅん……でも狭間君が持ってたディスクなら、尚更オカルトっぽくない? 最近なんか、「そっち」にはまってるって噂もあるし」
 たまきは今日集めた噂に紛れていた狭間の個人情報を思い返し、佐藤に問い返す。元々不気味な雰囲気のあった狭間が、ここ最近更に不気味になってない? そんなたわいもない「悪口」に絡め、狭間がオカルトに興味を示しているという噂が添付されていた。実際に彼がその手の本を図書室で読んでいるのを目撃したといった話から、オカルトに目覚めた狭間が自殺した生徒を「呪っていた」んじゃないかというとんでもない話まで……どれもがあくまで噂である以上、何処までが「事実」でどこからが「尾ヒレ」なのかは明確ではないのだが。
「どうだろうね。ボクは「そっち」方面はほとんど信じてないんだけど……どっちにしても、今日からこのディスクの解析を始めるところだから、すぐに中身を確認できる訳じゃないんだ」
 申し訳なさそうに詫びる佐藤の言葉に、オーバー気味にガッカリだと悲しい顔をするたまき。たまきにとってこのオーバーリアクション自体に深い意味はなく、それほど悲しんでいるわけでもないのだが……名前は知っていても初対面の女性、しかも同年代の女性ですらまともに会話する機会が少ない佐藤を慌てさせるには充分だった。
「ああでもそんなに待たせないと思うよ? うん、すぐやるから……あの、そんなに知りたいなら解析終わったらすぐに知らせるから」
 あくまで興味本位で始めようとしていたフロッピーディスクの解析。佐藤の中で、この解析に何らかの「使命」「責任」が生じてしまったようだ。
「うん、そうだね。それじゃ部長、アドレス交換しようよ?」
「えっ、アドレス? あ、うん、メールアドレスね……」
 何気ない、たまきにとって男女問わず「当たり前」の行動に、佐藤は焦った。女の子とメールアドレスの交換なんて……舞い上がる自分を必死で抑えながら、佐藤は慌ててズボンのポケットに手を入れまさぐった。たまきは佐藤の様子を気にしていなかったが、由美はさきほどから続いている彼の慌てぶりがおかしくて、つい噴き出してしまいそうになるのを懸命に堪えていた。多くの恋愛相談ものってきた由美には、たまきの何気ないやり取りが佐藤に何らかの「勘違い」を生み出していくんだなと、おかしさ半分哀れみ半分で見守っていた。
「……オケ、受け取ったよ。それじゃ部長、何か判ったらメールしてねー」
「あ、うん。メールするから、絶対するから……」
 見方に寄れば、年上を手玉に取る女性か? 一つ違いでも高校生の一学年は大きな隔たりがある。だがたまきにしてみればどうということのない、ただのアドレス交換。たまきにしてみればそうかもしれないが、電算部の部員達にしてみればコレは一つの「事件」だ。たまき達が出ていった電算室ではその事件に対して「羨ましい」「上手くやりやがって」「役得かよ」「でも俺は白川派だな」「リア充め」等と騒がしくなる……のだが、そんなことを騒動を巻き起こした二人がこの事を知ることはない。

 聖の見た目や性格からして、本人が言うほど「優秀なライター」という印象を持つ人は少ないだろう。それは武も同じだった。だがその認識は改めなければならない。
「大ざっぱですが……シッカリまとめられていますわね」
 武のCOMP兼用ネットブックでファイルを見ているベスが言葉を漏らす。むろん見ているファイルは武が聖から受け取ったUSBメモリに入っていた物。
「事件の大まかな内容と、周辺取材のメモ。そこから割り出した推理……人に見せるようにはまとめてないけど、自分で見る分には充分なんだろうな」
 ただ噂を追い求めて記事をでっち上げる……本人ですらそんな仕事だと公言していたが、しかし聖の仕事に対する姿勢はそこまでいい加減な物ではなかった。
 もし武が今から事件について調査を始めたとして、この聖が書いた調査メモと同等の情報料を集めるとなれば……さて何日かかるのだろうか。何の知識も技術もなく探偵になったほぼド素人の武と、特殊な分野でライターを生業としているプロの聖とを比べることが、そもそもの間違いなのかもしれない。
「……警察は事故、事件、自殺、他殺、あらゆる方向で調査を開始したものの、すぐに自殺と断定した……」
 ベスが書かれているメモを読み上げる。既に一読している武だが、ベスの朗読に耳を傾けている。
「自殺する動機は全く見当たらないが、現場の状況から自殺以外に「ありえない」と結論を出したためである……そうですね、確かに「ここから」ですと自殺以外は考えづらいですね」
 ベスの視線はネットブックから外れ、自分達の前方……高い金網のフェンスへと移った。緑色のフェンスは大人の背丈よりは少々高い程度の物で、乗り越える気があるならば簡単によじ登れるだろう。しかしその気がなければフェンスより外へ出てしまうような危険はありそうもなく……つまりここから飛び降りたとなれば、自力で乗り越えたと考えるのが打倒だということだ。
 今武達は、男子生徒が身投げした現場であるデパートの屋上にいる。昨日までは現場検証のため封鎖されていた場所だが、今日から解放され、一般の利用客も立ち入ることが出来るようになった。とはいえ自殺者が出た現場ということもあってか、利用者はほとんど見当たらない。武達よりも先に献花へ訪れたのか何人かの軽高生とすれ違ったが、今は武達と置かれた花束、そして屋根のあるゲームコーナーで子供達が数人カードゲームをしているだけである。
「そうだな……それに目撃者もいるんだよな?」
「はい。聖さんのメモにも書かれています……子供とその母親の証言有り、だそうです」
 男子生徒の自殺にオカルトの匂いを漂わせ聖達を引きつけたのは、その目撃者の証言にある。生徒は「助けてくれ」と叫びながら屋上に現れ、そして喚きながらフェンスまで駆け寄った。その異様な光景に屋上にいた人々はまず彼を避けようとした……あからさまな不審者、それも精神面を病んでいるように見られたのだろう。子供を連れた母親などは特に、子を思って遠ざかろうとするのは当然と言える。だが注目はされ続けた……だからこそ、複数からハッキリとした証言が得られていた。
「悪魔が来た……か。まあ自殺する人間が口走る言葉じゃないよなぁ」
 生徒は助けを求めながらも自らフェンスをよじ登り、そして飛び降りた……流石に止めようとした者はいたようだが、一度避けようと離れていただけに間に合う者はいなかったらしい。これらの証言が複数から得られたことで証言に間違い無しと確信した警察は「精神を病んだ若者が錯乱して飛び降りた」と、この一件を結論づける。不明瞭なことは多いが、警察としてはこれ以上この件に関わろうとはせず幕引きとした様子。あまり深く調査することで自殺した生徒や家族の名誉を傷つけないようにという配慮もあったのだろう。
 しかしこの自殺、当然様々な物議を醸し出す。朝倉が疑ったように覚醒剤か何かをやっていたのではないかと、そちらの方面を疑う者が出てくるのは当然だ。しかし検死の結果そのような事実は認められず、また交友関係を洗っても……確かに素行が良かったとはとても言い難いが……覚醒剤に絡むような事柄は何一つ出てこなかった。むろん精神を病むような「切っ掛け」も見つかっていない。「飛び降りた」という事以外、ほとんどが不明瞭なまま……マスコミとしては「ネタ」として扱うに充分な自殺事件なのだが、これだけ判らないことが多すぎるとかえって記事にはし辛いのだろう。聖や朝倉以外、マスコミはこの自殺を深追いしていない。
「うーん……「ここから」判る事は何もなさそうだな」
 現場百回とは、よく刑事ドラマで使われる言葉だ。まずは現場を調査し、何度もよくよく調べてみろという捜査の基本。それに従いまずは自殺現場を視察に来た武だったが、事件の確認が出来ただけで得るものはあまりなかった。もっとも「確認作業」こそ捜査の基本で、けして無駄なことではないが。
 そう、無駄なことはなかった。少なくともここで、奇妙な「出会い」が待っていたから。
「あら? いつかの探偵さん」
 声に気付き振り返る武とベス。二人が見たのは、一人の若い女性だった。
「……ミランダさん」
 そよ風で揺れる長い髪を手で軽くかき上げながら、ミランダは二人に近づいてくる。明るいすみれ色の髪とうっすらと黄緑に染められたV字ネックのトレーナーが、女性の笑顔と相まって清楚さを醸し出している。
「ふふ、こんなところでまたお会いできるとは思いませんでしたわ」
 その出会いが本当に嬉しいのだと、彼女は言葉ではなく笑顔で伝える。釣られるように武も笑顔を見せるが、どこかぎこちない。まだ彼女を信用し切れていないから……というよりは、単純に美人を前に男としてどう対処すべきか戸惑っているだけのようだ。彼の「夜」の事を考えると、女性の扱いに慣れていないというのは何かのジョークに思えてしまうのだが。
「どうしたんですか? こんな所に」
 察しは付いているが、とりあえず伺ってみた武。問われたミランダは「あなたと同じですよ」と表現は曖昧に、しかしハッキリと目的を伝えた。
「CBASが自殺した生徒の発言に注目しまして……念のため、調査することになったんです」
 動機もほぼ武と同じ。だが武とミランダでは立場が違う。その違いを武はどう扱うべきか心中で色々まさぐり始めていたが、しかしミランダは一切気にすることなく、むしろ武に出会ったことで「協力者」を得たと喜んでいる様子さえうかがわせ、「立場の違い」をアッサリと埋めていく。
「何か判りましたか? よろしければ私にも教えてくださると嬉しいのですが……」
 通常、探偵が調査中の内容を第三者へ伝えるような事はしない。ミランダにもそれくらいの常識は判っているはず。だがミランダの中で武をどのように認識しているのか、武を探偵と呼びながらもその常識を完全に思考の外へ通しだしていた。
「いや……」
 どう答えるべきなのか、武がその困惑を言葉と表情に表して、ようやくミランダはその常識を自分の思考に取り戻した。
「ごめんなさい、そうですよね……」
 ミランダは自分の過ちに気付き手を口元に当てながら自分の発言に驚いていた。
「まあなんにしても今の段階ではまだ何も……こちらも調べ始めたばかりなのでね」
 不手際はミランダにあった。しかし女性を一人困らせてしまったという奇妙な罪悪感が武にのしかかる。そうでなくともミランダのような女性をどう扱うべきなのかまだ戸惑っている武には、後頭部を掻きながら苦笑いするのが精一杯だった。
 そんな折、タイミングが良いのか悪いのか……フェンスより外、デパートの「下」の方から飛来してくる者がいた。
「マスター、やはりこちらから見ても特……」
 ふわりと、フェンスを「飛び」越えて屋上に舞い降りたのは、一人の天使。通常の人間には見られることのない彼女の姿を、彼女の主とは異なる人間に目撃され言葉を途中で詰まらせてしまう。
「エンジェル……なの?」
 背中に生えた大きな羽根は確かに天使のもの。しかし純白であるはずの羽根が一部黒ずんでおり、なにより服装があまりにも破廉恥。露出することを目的とした衣装を身にまとう神の使いに、ミランダは言葉を失いかけた。
「ああ……彼女は俺の新しい仲魔でね。この格好はなんていうか……」
 不味いところを見られた。さてどう言いつくろうか。次の言葉を模索している武よりも早く、当の本人が口を開いた。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。この姿はマスターが私に「度胸試し」の為にと用意してくださった衣装なのです。おかげさまで、精神面の強化に役立っております」
 度胸試しとはまた、酔狂な理由だ。こんな言い訳を思いつくのはまだ判るが、すぐに信じられるかどうかは疑わしいものだ。
 相手がミランダでなければ。
「そ、そうなのですか……しかしまた、変わった訓練なのですね」
 納得したかは別として、ミランダはエンジェルのことも武のことも疑ってはいないようだ。人が良すぎるのは色々と問題もあるが、今の武やエンジェルにとってはそんなミランダでいてくれて助かっていた。
「……それで、外からの様子は?」
 誤魔化すために、武はエンジェルに「本来の目的」を報告するよう求めた。
「はい。外側から見ても特におかしな点は見当たりませんでした。ですが……」
 チラリと、ミランダに視線を移す天使。その意図に気付いた武は軽く頷き、報告を続けるよう促した。
「若干量ですが、マグネタイトがフェンスに付いていたのを発見しました」
 マグネタイト……デビルサマナー二人が、声を合わせた。マグネタイトは人間の感情などによって生み出される特殊な物質だが、人間ではなく悪魔が主にそれを活用している。つまりその残骸がフェンスにこびり付いていたとなれば、ここに何らかの悪魔がいた可能性は高くなる。ただそれが自殺した生徒とどう絡んでくるのか……。
「ありがとう、それだけでも教えて貰えて助かったわ。それじゃあ武さん、また会いましょうね」
 爽やかに手を振りながら、ミランダは立ち去っていく。その姿を軽く手を振りながら見送っていた武は……今回の調査とは別の、だが大きな発見をどう解釈すべきか悩んでいた。
 ミランダの様子から、どうやら彼女はエンジェルのことは知らなかったようだ。しかしエンジェルはミランダのことを知っていた……かのように思える。エンジェルは自分の格好を真っ直ぐに見つめている女性が「悪魔を見ることが出来る人物」と認識出来たのは判る。だからこそ言い訳をとっさに思いつき話し始めたのだろう。ただその流れ……その雰囲気に、なにか武の中で釈然としない引っかかりを感じていた。具体的に何がおかしいというものでもないが、どうにも「ミランダの性格を知っていた上で彼女に合わせた言い訳」だったようにも思える……かといって、他にどんな言い訳が出来たかと言えばそれも限られているわけで……武は自殺事件を追うために次の目的地へと向かいながら、頭では違う「真実」を追い求めていた。

 電算部部長の手に渡った古いディスク。それが悪魔召喚プログラムかどうかはまだハッキリしていない。本物であるならば部長が気付く前に回収すべきなのだろうが、今の段階で取り上げるには部長を納得させるだけの「理由」が必要になる。もちろん悪魔召喚プログラムだからというのが立派な理由なのだが、それを聞かされてはいそうですかとディスクを由美達に渡すはずもない。ならば今しばらく様子を見た方が良いだろう……いずれにせよ武達に相談することになるが、今のところはその方針で問題ない。そう由美は結論づけた。
「どっちにしても、解析を始める前だって言ってたしね。出来たとしても、誰もが使えるって訳じゃないんでしょ?」
 由美の考えを聞かされたたまきは、彼女に同意していた。若干楽観的な判断ではあるが、現状他に方法がないのでは仕方がない。
 それよりは、今できることを全てやってしまおう。行動派のたまきは由美を引き連れ次の目的地となる図書室へと向かっていた。
「やっぱりさ……調べた方が良いと思うんだよね。狭間君のこと」
 悪魔召喚プログラムと噂されているディスク、その元所持者が狭間。自殺した生徒がいじめていたのも狭間。そして最近オカルトに興味を示しているという噂もあり……ここまで揃うと、色々と疑うしかないだろう。由美としては同級生の身辺調査というのは気が進まないが、捜査を先へ進めるためにはたまきの意見に賛同するしかあるまい。
「でもさ……そもそも、うちの図書室にそんなオカルトな本なんてあるの?」
 ソレを調べるんでしょ? とたまき。由美の疑問はもっともだが、たまきの意見ももっともだ。
「とりあえず……月刊妖(あやかし)ならあるよ?」
「へぇ、聖さんの雑誌が図書室にあるなんて知らなかった」
 仮にも顔見知りの男が編集している雑誌だ。そんな雑誌が自分の通う学校でもちゃんと読めることを知らないというのは、その雑誌で生計を立てている聖にとってみれば少々可哀想な気もするが……世間的な雑誌の知名度も「その程度」ということか。なんにしても浮かばれない話だが。
 マイナー雑誌の話題で軽く盛り上がる二人は、図書室へとたどり着いた。しかし中に入ることが出来ずと立ち止まる。
「……図書室に御用ですか、先輩。申し訳ありませんが、下校時刻を過ぎましたので閉室させていただきました」
 ちょうど図書室の扉に鍵を掛けていた生徒が、近づいてきた二人に声を掛けた。とても図書室に用があるようには見えない二人に対し、まさに図書室がよく似合うような生徒。キチンと分けられたショートカットに黒縁の眼鏡、そして綺麗に結ばれた制服のリボン。まさに優等生を絵に描いたような女生徒。二年生である二人を先輩と呼んだところをみると、どうやら下級生、つまり一年生のようだ。
「あれ、もうそんな時間?」
 たまきが携帯を取りだし、時刻を確認する。分刻みの時間を確認せずとも、外を見れば一目瞭然。空は赤みが差し始め、野外の部活動は片付けを始めている。日が沈み夜のとばりが落ちるまでの短い合間……逢魔が時、と呼ばれる今がその時間。
「仕方ないね、たまき。明日にしよう」
 調査はまだ始まったばかり。そう慌てる必要もないと由美はたまきに下校しようと声を掛けた。だが由美の言葉に反応したのは、たまきではなかった。
「……もう、これ以上色々と調べまわるのは止めた方が良いですよ? 先輩」
 夕日に照らされているからだろうか、下級生の眼鏡、そしてその奥にある瞳までもが妖しく輝いた……ように、由美には見えた。
「……どういうこと?」
 声を荒げることはなかったが、刺々しい返答。話に割り込んできたことにいちいち腹を立てるほど由美の気は短くないし、優等生に劣等感を抱いているわけでもない。下級生の物言いも、第三者から見ればそう刺々しいものでもない。だが明らかに、下級生は言葉の意味とは裏腹に「挑発」している……由美はそう感じ取った。
「おかしなメールをばらまいたり、それを聞き回ったり……学生ならば本分を全うされてはいかがですか?」
 今度はあからさまな嫌味が含まれている。だがそんな言葉でも優等生らしさが垣間見られる。
「……あなたには関係ないでしょう?」
 メールをばらまいたのはたまきだが、下級生の視線は由美に向けられている。受ける由美も真っ直ぐに下級生を睨みつけ、まさに視線で火花を散らしていた。
「……これは警告です。これ以上「探偵ごっこ」を続けるのは止めた方が良いですよ?」
「……アンタ何者? 警告ってどういう意味?」
 ケンカを売られた。それもただのケンカではない……由美とたまきが何を調べているのかを知っている上での挑発なのだから……由美の視線も顔も、険しくなっていく。元々服装も着崩して不良じみて見えることもあり、その雰囲気は間に挟まれたたまきが身震いしてしまうほどだ。だが売った当人は涼しい顔で優等生を続けていた。
「一年B組の赤根沢玲子です……それでは失礼します、白川先輩、内田先輩」
「ちょっと、聞いてるのはそういうことじゃないでしょ! 待ちなさいよ!」
 偶然出会っただけにすぎない下級生……そのはずだが、玲子と名乗った少女は二人を名指しし別れを告げ去っていく。由美の罵声に振り返ることもせず。
「なにアイツ……」
 自分達のことを知っている……それは別段不思議ではない。良くも悪くも、由美もたまきも校内では有名だから。そしてメールのことを知っているのも、たまきがかなりの量ばらまいたのだから耳にしていてもおかしくはない。だがあからさまに、彼女の発した言葉一つ一つに明確な意図があった……そうとしか、由美には思えなかった。だがどんな意図なのか……警告と言いながらのあからさまな挑発を、どう受け取るべきなのか。握りしめた拳を振るわせながら、由美は玲子が消えていった廊下の先を睨み続けていた。

 日も落ち始め、各家庭で夕飯の準備が進められる頃……その家はひっそりとしていた。
 ベスがリリムの姿で潜入したその部屋は、年頃の男の子が生活を「していた」部屋。散らかっていただろう室内は母親の手によってある程度整頓されているようで、この状態がしばらく続くのだろう。部屋主がこの部屋に帰宅することは、もう無いのだから。
 悪魔に、人間のようなセンチメンタルな感情があるのかは判らない。ただ感傷に浸ることが無くとも、家全体を取り巻く「雰囲気」を感じることは出来る。ベスはその重い空気の中へ入り込み、軽く溜息をついた。このような空気を好む悪魔もいるが、夜魔リリムはそんな悪魔に該当しないのだ。
 若い男の部屋に忍び込むのは、淫魔にとって生活の一部。しかし武のために生み出されずっと武に尽くしてきたベスにとって、他人の部屋に潜入したのはコレが初めてだ。だからといって特別に思うことも感じることもなく、淡々と主の命令をこなしていく。
 命令と言っても、そう難しいことではない。単純に、姿を消して自殺した生徒の部屋を調べる……それだけの簡単なこと。とはいえ、これは悪魔であるベスだから出来ることで、優秀なライターである聖にだって真似できない芸当。武はまだ駆け出しの探偵だが、悪魔を使役している点でプロライターよりも優位に立てることもある。それがこの調査だ。
 まずは周囲を見渡す……年頃の男の子らしい部屋、という以外変わった点は見当たらない。デパートの屋上でエンジェルが見つけたマグネタイトの残骸のような、あからさまに怪しい証拠も見当たらない。残念だと腰に手を当て息を吐き出したベスは、次に机の上へと視線を移す。そこには充電器の上に置かれた携帯電話があった。もう使われることのない携帯電話、だが親の心情を考えればその携帯電話をいつでも使えるように残しておく気持ち……突然息子を失ったやりきれない想いがあるのだろう。そんな人間の感情がある、ということは理解できるベスだが、その携帯電話に手を伸ばすのに何の躊躇もなかった。
 ピッ、と軽い音を立て、携帯電話が充電器から外される。ベスは携帯を開くとすぐにメールをチェックした。人に携帯を見られるという意識は無かったのだろう、パスワードなどは設定されていなかった。肝心のメールは……同年代の女性ほど頻繁にメールしているわけではなかったのだろう、着信メールはそう多くない。ただ文面が「大丈夫か?」「何いってんだ?」といった心配するようなものから「ヤバイよ」「マジかよ」といった、何かを同意するような文面まで……これだけでは意味が判らないと、発信履歴を確認するベス。
「これ……」
 隠密行動をしなければならないベスなのだが、思わず言葉が漏れてしまった。配信履歴には、「悪魔」という単語がここかしこに散らばっていた。そして同様に、「ハザマ」という単語も。内容は要約すると、「ハザマ」が「悪魔」を使って復讐しようとしている……助けてくれ、といったもの。これに対して先ほど見た着信履歴を照らし合わせると、大多数は彼のメールを戯れ言だと切り捨てたようだが、本気にした者もいる……つまり心当たりのある者が他にいるのだ。ベスはもう一度着信履歴を確認し、メールアドレスをメモしていった。
 おそらく、警察はこの携帯を調べただろう。その上で生徒の「精神」を疑ったはず。だがこれ以上警察は捜査を踏み込んだのか……メールを返した生徒にこの事を確認したのかどうか、「ハザマ」に事情聴取をしたのかは判らない。
 ベスに出来る捜査はここまでだ。アドレスのメモを持って、愛しの主が待つ事務所へと帰還する……この先は探偵の出番だ。武の手腕が問われるのもこの先だ。


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