探偵として、デビルサマナーとして、武が初めて請け負った依頼。それはビル丸ごと一棟分の調査と、必要ならば「原因」の駆除……大まかにまとめるだけでも手間の掛かりそうな依頼だった。
「ここね……噂には聞いてたけど、なんだか本当に不気味なビルね」
 由美が見上げているテナントビルこそ、依頼の対象となるエコービル。駅前という立地条件の良さがあるにも関わらず、店舗が一つも入っていない無人ビル。しかし廃ビルというわけではなく、月明かりに照らされた外見は比較的綺麗で電球一つ破損していない。営業していないのが不思議なくらいなのだが……しかし無人だからなのか、そこはかとなく身震いしてしまうような気味の悪さも感じる。
 あのビルは「出る」らしい……由美が聞いた噂とは、そんなよくある噂話。聖もネタとして記事にしたこともある噂だが、噂そのものはありきたりで、特集を組むほどじゃない……とは、聖の弁。武が依頼を受けたその場にいた聖が「ロハ」で武に話した情報によれば、確かに特徴ある噂話とは言えなかった。
 だがしかし、このビルのオーナーであり依頼主であるルイ・サイファーはその噂を気にしていた。そもそもルイは建設時からこのビルのオーナーだったわけではなく、噂が立ってしまったが為に売り出されてしまったこのビルを先日買い取ったばかりらしい。前オーナーも、そしてルイも、噂がある為に店舗を入れることが出来ず無人のままにしてしまっている。このままでは買い取った意味がない。そこで噂の根絶を計ろうと、武に依頼をした……経緯だけを語ればこんなところだ。
「ああ……「出る」って噂が立つのも判るけど……ちょっとこれはハンパ無いぞ」
 ただ単に噂だけなら、まだどうにか営業は出来るはずだ。噂はあくまで噂であり、実害があるわけではないのだから……少なくとも聞いた話で判断するならば。しかし前オーナーはこのエコービルを売りに出した……噂にも上らない「事情」があるのは明らかだ。武はその事情を、何とも言い難い「悪寒」で察した。
 そしてその事情を明確に、真っ先に「嗅ぎつけた」のはパスカルだった。
「……死臭がするわね。それも結構キツイ……まるで墓場のようだわ」
「墓場……そう、やはり気配からして……死臭の元はゾンビのようですわね」
 パスカルの言葉を受け、ベスが気配の正体を探り当てる。二人の推理に、生きた人間二人が顔を引きつらせた。
「幽霊ならまだしも、こんなところでゾンビって……マジか?」
 主の質問に、淫魔は即座に頷いた。
「都会の街頭モニターから悪霊が飛び出すこともあるのです……原因が何かは判りませんが、ここにゾンビの群れがいるのは間違いないかと思われます」
 ゾンビがいたのでは確かに営業どころではないが……むしろゾンビが湧いて出たのならそれだけではすまなかったはず。もっと大きな被害が出ても良いはずだが……少し悩み始めた武だったが、それを今突き止めたところで状況は変わらない。ともかく調査を始めるしかないと、初仕事に気合いを入れ始める。
「由美、準備は良いか?」
「う、うん……大丈夫」
 由美は手にした銃、ベレッタ92F……最もポピュラーなオートピストルを構え直す。ポピュラーとは言っても日本国内で一般人が拳銃を手にすること自体通常ではあり得ないことだが、悪魔を相手にするのに魔法だけでは心許ないだろうと、武が百合子を通じて準備させた物だ。由美は制服の下にハイレグアーマーと呼ばれる防具を身につけているため、これで最低限の準備は整っている。武も服の下にサバイバーベストという防具を着込み、ノートブック型COMPから以前貰い受けた練気刀を取り出して準備した。
 武にとって、これが初の実戦となる。ガキに対して何も出来なかった自分が、ゾンビを相手に本当に戦えるのか……不安ばかりが胸を締め付け、自分から声を掛けながらも中々一歩が踏み出せないでいる。
「……行きましょう、武様。私達が付いております」
「そーそー。ゾンビくらいパパッとやっつけちゃおうよ!」
 傍らにはベスが、肩の上にはピクシーが……武の心強い仲魔が、すぐ側にいる。
「……そうだな」
 恐れることはない。あの時とは違うのだ……自分に何度も言い聞かせ、武は初仕事への一歩を踏み出した。

 外観同様、ビルの中も比較的綺麗だった。無人とはいえメンテナンスを怠ることはなかったらしく、多少埃っぽい程度で床も壁も天井も目立つような汚れはない。そして設備もしっかりしており、電気系統に異常はなかった。依頼主のルイから預かっていた地図を頼りに管理室へ入った武達はすぐにビル全体の電力を入れた。
「これで少しはまともに戦えそうね」
 軽く息を弾ませながら、由美が胸をなで下ろす。そう、ここへたどり着くまでに武達はゾンビの群れと既に戦闘を行っていた。懐中電灯を片手に持ちながらではまともに戦うことも出来ず、初陣は夜目の利く仲魔達に任せきりとなった。
「だな……さぁて、こっからが本番だぜ」
 もう懐中電灯に頼ることもない。片手で握りしめていた日本刀をシッカリと両手で握り直しながら、武は管理室を出る。由美も武に続き管理室を出ながら、やはりシッカリと両手で銃を握りしめた。
「右、来てるよ!」
 ピクシーが騒ぎ出す。振り向く全員が目にしたのは、ゆっくりと腐った足を引きずりながら歩く死人の群れ。服装はまちまちだが、ボディコンを着込んだ女性のゾンビを代表として、どのゾンビも着ている物が一昔前のファッション。そして所々が破れボロボロになった服ばかりだ。
「後ろ……挟まれたわね」
 振り返ったパスカルが唸る。その先には、やはりゾンビの群れ……警官の制服を着た三人のゾンビだ。人数こそ警官ゾンビの方が少ないが、腐った手に握られている銃が厄介。
「こっちは私が何とかする。武達はそっちをお願い」
「判った」
 振り返ることなく返事をする武。先ほどまではベス達に任せていたが、今度こそは……気負いすぎないよう一度大きく息を吐き、そしてゾンビの群れに向かって駆けだした。
 時同じくして、パスカルもまた息を大きく吐き出した。しかし武のそれとはほど遠い、真っ赤な炎の息。通路を真っ直ぐに伸びる炎はそのままゾンビ達の身体を焼き、動く死体が動かぬ死体へと変貌していく。
 そして武はベスとピクシーの援護を受けながらまずは一体、腐った肉を両断した。初めて味わう、「斬る」という感触……刀を振り下ろしたまま、ブルブルと手が震えた。
「ウォオオオオ!」
 生理的な嫌悪と戦闘の高揚が入り交じり、武を吼えさせる。奇妙な声を上げながら両手を伸ばし近づくゾンビ。武は容赦なく、魂のない彼らを斬りつけていった。
「ハァ、ハァ……」
 気付けば、死体はどれももう動かない。肩で息をしながら、高揚した気持ちを落ち着かせる武。それでもまだ手の震えは収まることがない。後から湧き出した恐怖か、それとも使い慣れない筋肉が痙攣しているのか……なんにしても武自身が初めて参加した戦闘は、本人が思っていたよりもアッサリと、だが本人が想像していた以上の疲労……心身共に疲れを残しひとまず終えることが出来た。
「武様……」
「ああ、大丈夫……まだ慣れてないだけだよ」
 慣れていない……自分で言いながら、その言葉に背筋を震わせた武。慣れていないだけ、つまりいずれはこんな事に慣れていく……そうしなければならないのだ。それが、この道を選んだ、選ばざるを得なかった武の宿命。
「大丈夫……大丈夫だ」
 仲魔と、そして自分に言い聞かせる。慣れることの善し悪しを今更問うても仕方のないこと。震えも落ち着き、武は駆けつけた仲魔達をぎこちないながらも笑顔で迎えられた。
「……思っていたよりは平気そうね」
 ホッとした笑顔を浮かべる武の仲魔達とは対照的に、パスカルは冷静に、武を見上げていた。
「どう? ここで二手に分かれない? どうもゾンビ達の数は多そうだけど、この程度なら苦戦しそうもないし……あなた達なら大丈夫でしょう?」
 このメンバーの中ではパスカルが群を抜いて実力を持っている。そのパスカルが抜けて武達だけで戦っていけるのか……その判断はすぐに付けられた。
「ああ、大丈夫だろう。由美、携帯持ってきてるよな?」
「ええ、もちろん。電波も充分ね」
「なら行けるだろ。俺達はこのまま上を目指すよ」
 パスカルに太鼓判を押されて自信が付いたのもある。そして今の戦闘で実力をある程度把握できたこともある。武の決断に戸惑いはなかった。
「判ったわ。なら私達は地下を見てくるわ……由美、行きましょう」
「うん……じゃあねオジサン。頑張ってよ」
「ああ、そっちもな……」
 走り去る由美とパスカルを、廊下の角を曲がり姿が見えなくなるまで見送った武。視界から二人が消えると、武は振り返った。
「ベス、ここは確か5階建てだったよな?」
「はい。そして地下は1階のみで、その下は駐車場になっております」
 武のことだ、由美達のことも気になっているだろう。そう判断したベスは聞かれていない地下の情報も織り交ぜて伝えた。
「となると、やはり由美達の方が早く調べ終わりそうだな。よし、急いで調べないと」
 競争しているわけではないが、本来自分が請け負った仕事を手伝って貰っている武としては、あまり由美達ばかりに働かせるわけにはいかないと思っているのだろう。武は階段のある通路の先へと急いだ。
 不安と恐怖を置き去りにするかのように。

 2階も、3階も、そして4階も、ゾンビの群れが待ちかまえていた。5〜6人のゾンビが1〜2隊。ビルの広さを考えると少ない方かもしれないが、これだけのゾンビがビルの中をうろついているというのは大事件なハズ。しかしこれまでこのゾンビ達がビルより表に出てこなかったからか、武の中では異常事態という認識は薄かった。
 むしろ今の武には己の身に起きていることの方が重大で、ゾンビの大量発生について気を回す余裕がなかったのもまた事実だった。
「大丈夫ですか? 武様……」
 だらり、と下がった武の両腕。かろうじて刀は握られているが、その力も弱まっている。
 怪我をしたわけではない。単純な、筋肉疲労……生まれて初めて刀を持って暴れ回った武は、元々運動能力があまりない身体だったこともたたり、腕にかなりの疲労が貯まってしまっていた。仲魔達の回復魔法で何度も疲労を取り除いては来たが、戦闘の度に武の腕はギシギシと悲鳴を上げていた。
「ああ大丈夫……二人のおかげで、まだいけるよ」
 こんな事になるのは想定内だった。だからこそ、刀を受け取った日よりトレーニングを続けてきたが、ものの数日でどうにかなるレベルではなく……この有様だ。それでもよく戦い続けている方だと言うべきなのかもしれない。
「それより……なんか妙じゃないか?」
 ピクシーに痛みを取り除いて貰いながら、武が呟いた。三人は周囲を見渡してみたが、コレといった変化はない。少なくとも、見た目は。だがなにか……妙な「空気」を感じていた武。その空気を同じように感じながら、ベスが思いついた原因を口にする。
「もしかしてこれは……異界?」
「異界?」
 ベスが口にした聞き馴染みのない単語を武が繰り返した時だった。武のポケットから軽快なメロディが鳴り響いた。
「由美か?……もしもし?」
『ああオジサン、無事?』
 武の予測通り、由美からの着信だった。武が携帯に出ると、直ぐさま由美の声が耳へ届く。その声は動揺の色が濃く混じり合っている。
「ああ無事だが……何かあったのか?」
 由美のただならぬ雰囲気に、武も心配そうに返答する。
『良かった……あのね、地下の方にゾンビはいなかったの。それですぐそっちに行こうとしたんだけど……そっちに行けないのよ』
「え? ちょっ、どういう……」
 行けない、という言葉にトラブルを予感し、武は慌てた。それは由美の身を案じてだったが、武以上に慌てているのは由美。そしてそのトラブルに巻き込まれているのも由美ではない。
『武、こっちに問題はないわ。安心して頂戴』
 声の主はパスカルに切り替わっていた。
「パスカル、今そっちは……」
『ごめんなさい、携帯電話だとそっちの声がよく聞き取れないの。だから一方的に話すから良く聞いて』
 携帯電話は「犬の顔」には適していない。口元に携帯を近づければ人間と違い耳からは遠ざかってしまう。ましてパスカルのような大型犬ならば尚更。自分で携帯を持つことが出来ず由美に携帯を持って貰っている状況では、人より聴覚が優れているとはいえ武の声は聞き取りづらいのだ。
『このビル、半分「異界化」が進んでいるわ。異界について詳しいことはベスに聞いて。それで、異界化によって一部……そっちの地上階が結界を張られたように行けなくなっているの。それでも携帯の電波が届いているのだから、まだ異界化が完全に終わっていないみたいだけど……』
 ベスと同じ「異界」という単語を話し始めたパスカル。まだその意味を理解していないが、とんでもない状況に成りつつあるのだけは、話の内容と雰囲気で感じ取っている武。ちゃんと理解しているのか知りようのないパスカルは、そのまま話を続けていた。
『ともかく、異界化を行っている者がそっちにいるのは確かなようね。そしてゾンビを呼び出しているのもそいつ……その首謀者をどうにかしないと、異界に閉じこ……れる……だ……』
「ちょ、もしもし、もしもし!?」
 最後まで話し終わる前に、会話が雑音と共に途切れ、そして通話事態が切れてしまった。電波の状況が悪い……というよりも、パスカルの話から考えるに、「異界化」が進行して電波も届かなくなったのだろう。
「くそっ!」
 パタン、と音を鳴らして勢いよく携帯を折りたたみ、武は乱暴にその携帯をポケットに突っ込んだ。
「ベス、どうやら異界化というのがこのビルの中で進んでいるらしいが……」
 途中までパスカルから聞いていた話を伝えようと、武が口にし始めた。しかし武が伝えるまでもなく、ベスは何が起きているのかを感づいていたようだ。
「やはりそうですか……武様、どこまでお聞きになりましたか?」
「いや、異界化が進んでいるから由美達がこちらに来られないって……異界ってなんだ?」
 馴染みのない単語とはいえ、単語は日本語だ。全く聞いたこともない外国の言葉ではないだけに、うっすらとだが武にも意味の察しは付いていた。だが察した意味の通りだとすればあまりにも日常とはかけ離れすぎているために実感がない……もしありえるならこんなこと、漫画かゲームの世界だろう。ゾンビを相手に戦うという非日常に身を置きながらも、武はまだピンと来ない単語の意味をベスに尋ねた。
「異なる世界……まさにそのままの意味になります」
 武のイメージと同じ答えが返ってくる。
「現実世界とほとんど同じような世界なのですか、異なった平行世界……それが異界です。鏡の世界とか影の世界とか、SFのように説明するならばそんな言い回しが適切でしょうか?」
 具体的に全てを理解できたわけではないが、イメージは掴めた武。その証として無言で頷いた。
「現実世界と異なるのは、こちらは悪魔達が住まう世界です。とはいえ魔界とはまた違う世界でもあるのですが……」
「それが「進む」っていうのはつまり……現実世界が異界と結びつくって事かい?」
 イメージを掴んだ武は、答えを早急に求めた。今必要なのは詳しい知識ではなく、今後の対策なのだから。
「その通りです。通常ならば結びつかない世界を一つにしてしまう、それが「異界化」です。何者かがここを異界化し、何かを企んでいるようですが……」
 その企みの具体的な目的は判らない。言うまでもないと最後まで発せられなかった言葉にはそんなニュアンスが乗せられていた。悪魔の住む世界と結びつけようとしているのだ、ろくな企みではないのは確かだろう。
「この異界化っていうのは、これをやってる奴をどうにかすれば元に戻るのか?」
「おそらくは。そもそも異なる世界を歪ませて一つにしようとしているのですから、その歪みを正せばすぐ元に戻るはずです」
 ならばやるべき事は決まった。武は疲れ切った腕を持ち上げ、仲魔達に声を掛ける。
「なら急ごう。このまま閉じこめられちゃかなわねぇよ」
 残る5階へ。今度は疲労を捨てていくかのように武は先を急いだ。

「ねえタケル……」
 階段を駆け上がる武のすぐ側を並び飛んでいるピクシーが、耳元にまで近づき囁く。
「誰か……付いてきてるよ」
 誰か? 立ち止まらず武は一瞬振り向いたが、特に人影は見あたらなかった。強い気配を感じることもこれまでなく、あるとすればゾンビ達の腐臭と、それによる生理的嫌悪くらいだった。ピクシーの勘違い……かもしれないが、彼女の直感は武よりもベスよりも優れている。疑うよりは信じた方が無難……そもそも武に、仲魔であるピクシーを疑うという概念なぞないのだが。
 チラリ、とベスに視線を送る武。それに対し頷くベス。二人は階段を上がりきるとすぐに廊下を曲がり、そして身を隠すよう階段入り口脇の壁にピタリと身体を貼り付け、しばし待った。もし尾行する者がいるのならば、すぐ側で武達が待機しているのに気付かず出てくるのではないか……単純だが追跡者から逃れるには有効な手段だ。
 追跡する側が最も恐れるのは、対象者を見失うこと。どんなに遠く離れていても、対象者が視界に入っていれば追跡は可能。仮に視界の中にいなかったとしても、何処にいるのか把握していれば良い。だが一度見失えば、再度発見し追跡を再開するのは困難。それ故に見失わないよう角を曲がった武達の姿を確認するため出てくるはず……ピクシーが言う通り付いてくる者があるならば。果たして……
「……なるほど、キミか……」
 追跡者はいた。足音をさせることなく、だがゆったりと羽根を羽ばたかせる音を僅かにさせながら、角に隠れていた武達にその羽根を見せるよう通路へと飛び出してきた。
「あら……奇遇ね。こんなところでまた会えるなんて」
 驚き振り返ったのは、突然声を掛けられたからなのか? それとも発見されたからなのだろうか? いずれにせよ、追跡者……エンジェルは一瞬驚きながらも振り返り、武に微笑んでみせた。
「何時から?」
 単刀直入に、ベスが問い詰める。
「何がでしょう?」
 単刀直入に、天使は微笑みを崩さずに問い返す。
「なーにとぼけてんのさー」
 ピクシーが頬を膨らませながら腕組みし、不快の意を天使に示す。それでも天使はただ微笑むだけだった。
「何しにここへ?」
 武達の追跡、というのが本来の目的だとしても、それを口にすることはないだろう。判ってはいたが、それでも武は天使に問いかけた。
「ここにゾンビ達の群れがいると聞きまして、それを成敗に。あなた達も同じではなくて?」
 ある種予想通りの返答。それが嘘か誠かはさておいて。
 このままでは埒があかない……だがどうする? 武は頭をかき始めていた。あくまで偶然と言い張る天使を相手に、追い払うのは対処として乱暴すぎる。しかし彼女が自分達を付けてきたのなら、このままなにもせずにいるのもマズイ。どうすべきか……口を歪ませた武に代わり、ベスがゆっくりと口を開き始めた。
「ヘブライ神族の天使には、九つの階級があるそうですね」
 ベスの口から漏れた言葉は、突拍子もないものに思えた。しかし彼女の「尋問」は明確な答えを引き出そうと言葉による包囲網を敷き始めていく。
「あなたはその中でも最下位に位置している……そうですね?」
 意図が掴み切れていないながらも、拒否するほどでもない簡単な質問。唐突にも思える問いかけに若干戸惑いながらも、天使は答える。
「はい……その通りですが、それが何か?」
 返答に対し僅かに口元をつり上げ、ベスが続ける。
「あなたの主な役割は、人一人を神の示す正しき道へと導くこと……そうですね?」
 問い返しを無視し、乙女の姿を模した淫魔は天使に再び問いかける。
「ええ……」
 エンジェルとは神に仕える全ての天使を指し示す総称でもあるが、九階層最下位の天使を示す言葉でもある。その最下位としての天使は、主に人間個人の守護者として正しき道へ導くこと。ベスの問いに間違いがない以上、天使は頷くことしかできなかった。
「守護する人間が危機に陥ったのならともかく、最下位の天使が率先して屍鬼討伐ですか? 一つ上のアークエンジェルなら判りますが、最下位のあなたが行うことでは無いと思いますが?」
 神より言い付かった任務が、天使にはある。エンジェルの場合、特定の人間一人の守護を任される場合が多く、階層が一つ上のアークエンジェルなら特定の集団や地域、更に一つ上のプリンシパリティならもっと広く国の守護となっていく。国や地域を守るためにプリンシパリティやアークエンジェルがゾンビやレギオンを退治しに赴くのならあり得る話なのだが、個人の守護を任されるエンジェルがわざわざ魑魅魍魎の群れへと飛び込むのは通常考え難い。ベスはその点を指摘していた。
 もしエンジェルがゾンビ達の討伐をしに行くというならば、その理由としては守護する人間がゾンビの群れに襲われているとか、あるいは……
「誰の命令で動いているのですか?」
 守護すべき人間に命じられない限りあり得ない。しかもこの天使の場合ゾンビ討伐が本来の目的ではなく……ベスは再度、明確な答えを天使に求めた。
「……私は今、守護すべき人間がおりません。ですからこうして……ああそうですわ!」
 パン、と手を打ち、天使は質問を棚上げして武に近づき、予期せぬ申し出を口にした。
「私に、あなたの守護を勤めさせてくださいませんか?」
「は!?」
 あまりにも予想外の展開に、目を見開いて武は驚いた。ベスも一瞬天使への追求を忘れかけたが、武に代わって直ぐさま天使を問いただす。
「待ちなさい。あなた……武様の仲魔になるというの?」
「ええ。危険を顧みずレギオンから人々を救い、今もこうしてゾンビの討伐に赴いている……あなたの正義に感銘しました。どうか私を仲魔に加えては貰えませんか?」
 レギオンの一件はともかく、エコービルの調査は探偵として依頼を受けただけ。レギオンのことも武にしてみれば「当然のこと」であって「正義のため」という認識はない。だがこの天使は武に正義を見、そして仲魔になると言い出した。正義を重んじる天使ならばあり得る申し出かもしれないが……戸惑う武も、そしてお気楽なピクシーですら、質問の追求から逃れるように言い寄ってきた天使の申し出を疑っていた。
 それはベスも同様……のはずなのだが。
「……武様さえよろしければ、仲魔にしてあげるのも良いのでは?」
「えっ、ベス!?」
 一瞬、武は混乱した。先ほどまで尾行してきた天使の目的を追究していたベスが、突然仲魔にすることを勧めるのは何故か? 真意を探るようにベスへ振り向く武。そして武が見たのは、それこそ天使のような満面の微笑み……だが淑女としてのベスではなく、淫魔リリムとしての、様々な含みを帯びた微笑みだった。
「……正式に仲魔にするかどうかは後にしよう。とりあえず今は、このビルを異界化しようとしている奴を見つけてどうにかしないと」
「心得ました。ではまず仮契約ということで……今後ともよろしくお願いいたします、マスター」
 正体をハッキリ掴めていない天使を仲魔にする……それはかなり危険な行為だが、しかし今この天使ばかりを相手にしていられる状況ではない。こうしている間にもビルはどんどん異界に飲まている。事の優劣を決めるなら、間違いなく今はビルの異界化をどうにかするべきだろう。
「それじゃ急ごう。ベス、ここ最上階だよね?」
 急ぎはするが、急がば回れという。武はまず自分達がいる場所の確認を行った。
「はい。ここはビルの5階で最上階に当たります。ただここより上に屋上があり、そちらへ通じる階段も……」
「屋上に人影は見あたりませんでした。ビルの中へ入る前に私が上空より確認しております」
 ベスの報告を遮るように、エンジェルが新たなマスターへ進言する。その後で、チラリとベスに視線を送るエンジェル。そしてそんなエンジェルに横槍を入れられ僅かに頬を引きつらせたベス。ほんの、ほんの僅かなやり取りに、二人の報告を受けた武が苦笑いを浮かべた。
「ほらほらぁ、のんびりしてるから次来ちゃったよぉ!」
 微妙な空気を感じ取ったのかどうなのか、ピクシーが大声張り上げ通路の先を指さす。示した方向からは、不気味な声を上げながらゾンビが三体向かってきていた。
「ジオンガ!」
「ハンマ!」
 主の命を受ける前に、仲魔二人が魔法を駆使してゾンビを撃退する。その様はまさしく「先を争うよう」で……瞬殺されたゾンビ達のことよりも、武はこれからのことに一抹の不安を感じずにはいられなかった。
「あちらから来たということは、あちらにゾンビの元締めがいる可能性が高いかと……」
「急ぎましょうマスター。さぁ!」
 仲魔二人に引っ張られるよう、武は歩幅大きく前へ進み出る。今この場で、ピクシーだけがおかしげに笑っていた。

 ゾンビ達の数が急に増えてきた。それは目的の場所……異界化を進めている人物の元に近づきつつある証でもあり、また異界化がかなり進行している証でもある。ここに来るまでも連戦を続けており、戦闘に不慣れな武はもちろん魔法を駆使し続けている仲魔達にも疲労の色が濃く見え始めていた。この階に来てから加わったエンジェルはベスやピクシーと比べればまだ余力があるようだが、それでもやはり疲労は隠せない。
「武様……少し、よろしいでしょうか?」
 疲労のため多少息を上げているベス。疲れた顔が、妙に色っぽく見えてしまう。いや、見えているのではなく見せているのかもしれない。これからベスがしようとすることを考えれば、そうであっても不思議ではないだろう。
「ん、ああ……」
 曖昧ながら了解を得たベスは、直ぐさま武の首に手を回し、そして唇を重ね合わせた。
「ちょっ、あなた達何を……」
 その光景は天使にとって破廉恥に見えただろう。淑女の姿をした淫魔が、主と濃厚な接吻を続けている……口元を抑え驚いている天使の耳にまでチュパチュパと互いの唇と舌を絡める音が響き、合間にまるで聞かせるかのような喘ぎ声も混じる。
「ん、チュ……あん、ん……フフッ、ありがとうございます武様……」
 唾液で濡れ光る唇を天使に向けながら、ベスは「事」の状況をまだ目を見開いている天使に説明し始める。
「私達はね、こうして武様よりマグネタイトをいただいているの。そして武様のマグネタイトは魔力に変換する事も出来る。だから私達はこうして魔力の回復もするのよ」
 通常魔力は悪魔や人間が個別に蓄えている物。だが熟練のデビルサマナーの中には己と仲魔のマグネタイトを共有しそれを魔力として活用することが出来る者がいる。このような芸当、ただ悪魔召喚プログラムを手に入れただけのサマナーには到底出来ない技であり、悪魔召喚の技を修行によって体得したサマナーでも、この技の習得は困難。にも関わらずサマナーになったばかりの武が使えるのは、当然マダム百合子による「底上げ」の影響。それ故に、マグネタイトの魔力変換には性的な接触が必須となっている。
「いや、でもこんな事……あっ、あなたが淫魔だから出来ることで……」
「タケルー! 私にもぉ!」
 小さな身体が武の顔に飛びついた。そして口づけをかわす……というより、小さな身体を武によって一方的に舐め回されていた。
「い、ん、気持ちい、ん、ふぁ!」
 喘ぐ妖精の姿に、またもや天使は言葉を失っていた。
「私が淫魔だから……ではないの。判るでしょう? これが武様と私達「仲魔」との密接な契約……これでも、あなたは本気で武様の仲魔になりたいのですか?」
 勝ち誇り、そして挑発するよう口元をつり上げる淑女。天使はただ黙るしかできないでいた。
「まあいいでしょう……今は「仮」契約ですし。結論は後ででも……」
 立ち去るベスと入れ替わるように、武が身動きさえ出来ぬ天使に近づき、一粒の飴玉を差し出した。
「とりあえずキミはコレを……」
「あっ……ありがとう……ございます……」
 衝撃的な場面とその内容にまだ動揺を収めきれない天使は、それでも震える手で授かり物を受け取った。飴玉の名はチャクラドロップ。チャクラ……魔力を凝縮したドロップで、これを口にすれば魔力を回復させることが出来る。天使はどうにか落ち着きを取り戻しながら折角の贈り物を直ぐさま口に入れ、間近に迫った決戦に備えた。
 そう、決戦は間近に迫っていた。
「さて……あからさまにもう、「ここ」しかねぇよな」
 大量のゾンビ達が門番として立ち塞がった場所。守っていた扉には、怪しげな魔法陣が左右一つずつ描かれている。
「五芒星……ですね。中で何か行われているのはもう間違いないかと」
 扉の印に手を近づけながら確認するベス。しかしその指は印に触れることなくピタリと動きを止めた。
「これは……やはり封印されていますね。この術は……」
 言いながら、チラリと天使を見つめるベス。視線の意図に気付いたのか、先ほどまで放心状態だったはずの天使はにんまりと笑顔を見せる。
「破魔の術でならこじ開けられそうですわね。ここは私が」
 魔を払う破魔の力は天使が得意とするもの。むしろ払われる側になる淫魔では難しい術も天使にならば簡単に行える。属性が真逆の二人が仲魔にいることは武にとって色々とメリットは多い。が、小一時間前仮契約ではあるが仲魔になったばかりのエンジェルと武のパートナーを自称するベスとの間に交差する見えない火花に、武は得られるはずのメリット以上のデメリットを感じずにはいられなかった。
「……解除できました」
 パチン、というけたたましい音と共に一瞬火花が散る。見た目からも、扉の封印が解けたのが武にも判った。
「よし……いくぞ」
 武の言葉に、エンジェルとベスがそれぞれ扉の片側を押し開く。そして中から聞こえてきたのは呪詛の言葉。そして光景はその呪詛に見合うもの……二人の巫女を従えた一人の術者の姿。
「ぬう、何奴……我が儀式の邪魔だてをするとは、不届きの極みなり」
 振り返った術者は、まるでエリマキトカゲのような紅白の幅広いエリ、そしてヨモギ色のポンチョのような布を身にまとっている。髪のない頭や布から露出している手足は肌色と言うよりも微妙に土気色……色こそ違うが先ほどまで相手にしていたゾンビ達とイメージが重なる、そんな色合いの肌だ。物言いはいかにも東洋風の術者だが、その派手な見た目は一般的なそれとはあまりにもかけ離れている。
「どっちが不届き者だよ。人様のビルで勝手なことしやがって……今すぐ元の世界に戻してどっか行ってくれ。そうすりゃこっちの仕事も楽に終わる」
 当然ながら、相手が言うことを素直に聞くとは微塵も思っていない武。直ぐさま戦闘に備えられるよう、刀を構え直す。
「なるほど……貴様は「この時代」の陰陽師か」
「陰陽師?」
 全ての陰と陽、そして五つの要素「五行」などを取り込んだ陰陽道。そんな術を駆使するのが陰陽師。古来の日本で活躍していたとされる術者だが、当然武は陰陽師ではなく、陰陽道の技など何一つ知らない。
 もし近い技があるとするならば……式神と呼ばれる傀儡の召喚。すなわちデビルサマナーの術。
「まあよかろう……さて、どれほど力を取り戻したか、お主で確かめるとするか。別心より蘇りしこの道満(どうまん)が相手をしてやるぞ」
 道満を名乗った男が両手を広げる。座していた巫女二人が立ち上がり振り返ると……その顔は半ば腐り落ちていた。
「道満って……いやまさか……」
 道満という名、そして陰陽師。この二つから連想されるのは、平安時代に活躍した高名な陰陽師、安倍晴明の好敵手として知られた蘆屋(あしや)道満。怪しげな術者の言葉を信じるならば、平安の時代に活躍していた陰陽師が蘇ったというのか? にわかには信じがたい術者の発言に、戸惑いを隠せない武。
「行け、我が傀儡よ!」
「武様!」
 ベスの声に意識を迫り来る腐れ巫女へ向け直す武。だが動揺から立て直すのに出遅れたか、伸ばされた爪を刀で防ぐのが精一杯。ガキッ、と鳴る鈍い音が武を動揺から解放する。
「このっ!」
 巫女の腹を蹴り、自分から引き離しに掛かる武。そしてよろめく巫女を、稲光が貫いた。
「よぉし、やりぃ!」
 武のすぐ側にいたピクシーが、渾身の魔法で直ぐさま巫女の一人を土塊へと帰す。もう一人も既に天使と淫魔によって動かなくなっていた。
 これまで無数のゾンビを相手にしてきた武達だ。一瞬出遅れたとはいえたかが二人のゾンビ相手に怯むようなことはない。
 ゾンビだけが相手なら。
「フンッ!」
 崩れ落ちるゾンビの先に、印を結んだ道満の姿。かけ声と共に放たれるは、幾多もの炎。
「キャア!」
 飛び散る炎は各々武達に襲いかかる。特に身体の小さなピクシーにこの炎はかなり堪えたようだ。プスプスと体中から小さな煙が立ち、あちこちに火傷を負っている。
「ピクシー、一度避難しててくれ」
「うん……ごめん、タケル」
 武はネットブックを取り出し、直ぐさま片手で開き親指を動かす。小さな画面に複雑な魔法陣が現れ、その中へとピクシーが吸い込まれていった。
「メディア!」
 天使が癒しの力を振りまき、武達の傷を治療する。その間にも、陰陽師は再び印を組み直し次の術を繰り出そうと身構えていた。そうはさせまいとベスが接近戦に臨むが、ベスの放った鞭は小さなヨモギ色の布きれを切り取るだけに止まった。
「このっ!」
 間髪入れず、今度は武が刀を振り下ろさんと陰陽師へ駆け寄る。振り上げた刀は、だが下ろされずに止まってしまう。
「ヌンッ!」
 武の刀が下ろされるよりも早く、陰陽師の術が放たれた。途端、武の身体は小刻みに震えるものの全く動かなくなってしまった。
「これ、金縛り……」
 同様に、武達を援護しようと後方で魔法を唱えようとしていたエンジェルまでもが動かない。陰陽師の術により、武とエンジェルは金縛りにされたようだ。
「パトラ! 武様、引いて!」
 ベスが直ぐさま武の金縛りを解き、そして警告を発する。動けるようになった武は忠告通り刀を振り上げたまま後方へと飛び退いた。先ほどまで武が立っていた場所に、陰陽師の短刀が光っている。
 強い。真偽はともかく、敵は道満を名乗るだけはある。駆け出しのサマナーと生まれて間もない淫魔、そして仮契約したばかりの天使という三人では、名のある陰陽師に苦戦を強いられてしまうのも当然だろう。
 だがしかし、武達も負けてはいない。ここに来るまで幾多ものゾンビを斬りつけてきたことでどうにか「コツ」をつかみ始めていた武は、刀の扱いもだいぶ様になってきた。そしてベスはいかなる状況においても武のサポートを欠かすことはなく、常に武にとって最適な行動を取る。その為に生まれてきたと豪語するだけのことを実際ベスは行っていた。そしてエンジェルも、ほんの僅かだが武達と共に戦ったことで息を合わせるのも多少は上手く行えている。戦いが長引けば長引くだけ、三人のコンビネーションはその精度を増していった。
「カァッ!」
 気合いと共に、陰陽師から疾風が巻き起こる。風が武の頬を、ベスの太股を、エンジェルルの羽根を斬りつける。
「メディア!」
 だが直ぐさま、その傷はエンジェルによって癒されていく。そして術後の隙をベスの放つ稲光が狙う。
「おのれ、こしゃくな……」
 人数の多さをも圧倒していた陰陽師は、何時しか人数の多さに圧倒されていた。
「いゃぁああああ!」
 横一線。研ぎ澄まされた鉄の煌めきが袈裟懸けに陰陽師を切り裂く。
「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇ!」
 ヨロヨロと数歩後ずさる陰陽師は、胸元を手で押さえながら吼えた。
「もう少し、もう少しで我が力取り戻せたものを……我が恨み、我が野望、ここで、ここで潰えるの……か……」
 残された手がゾンビのように弱々しく、真っ直ぐ武に突き出される。
「だがまだだ……まだ、我は……われ……は……」
 伸ばした手に引っ張られるように、ズシャリ、と道満の身体が崩れ落ちる。一呼吸、二呼吸……武の荒い息遣いが静寂の中響く。
「かっ……勝った……のか……」
 まるで砂のように、崩れた平安の怨霊が細かくまき散らされ、そして消えていく。
「……武様、異界化が戻っていきます」
 周囲を見渡したベスが報告する。それは依頼の目的が達成された証ともなった。
「そうか……終わったのか……」
 息を整え始めていた武が、肩を落としながら自ら大きく息を吐き出した。
「ふぅ……いや、よくやったな俺達……ベス、エンジェル、助かったよ」
 性質の異なる二人の淑女は、主の礼に対し満面の笑みで応えた。
 確かに依頼は達成された。少なくとも武はそう思い安心しきっている。だが、そもそもこんな所に何故道満が? 本当に平安の陰陽師の生まれ変わりなのか? そして異界化して何をする気だったのか? エコービルの「噂」、その根元は絶つことが出来た……と思われるが、あまりにも多くの謎を残しすぎている。それでも……大勝に喜び、武はそれらの謎をすっかり忘れきっていた。
 刀を仕舞いながらピクシーを呼び戻した武は、改めて周囲を見渡す。戦闘が激しすぎて全く部屋の様子を意識していなかったが、改めて見回すことで道満が怪しげな儀式をしていたのが伺えた。
 陰陽道で使うのだろうか、床には正方形の板に丸い板が乗った何かの道具……どちらの板にもびっしりと文字が刻まれている。そして部屋の奥には祭壇。そこには四体の人形が置かれていた。
「なんだコレ」
 木で出来ているのか、見た目に反してとても軽い人形。作りはとても簡単で、まるで信号機や非常口に書かれた人型のピクトグラムをそのまま立体化したような、そんな人形が四体、それぞれ異なる色とポーズで置かれていた。
「これは……異界や魔界への扉を開くのに使われる儀式用の人形です」
 武に続いて別の人形を手に取りながら、ベスが解説する。
「おそらくこの人形を用いてビルを異界化しようとしていのでしょう」
 その目的は判りませんが……最後までベスは口にしなかったが、ニュアンスだけはしっかりと武にも伝わっていた。
「力を取り戻すとか、野望とか……そんなこと言ってたな」
 陰陽師の断末魔を思い起こしながら、ようやく武は多く残された謎を思い返し、ここで行われようとしていたことを推理しようと試みた。だが……その試みは直ぐさま断念された。
 あまりにも情報が足りない。周囲にはそのヒントとなる物が多くありそうなのだが、一つ一つがどんな意味なのか、武にはサッパリ判らない。ベスもエンジェルも、人形のことや異界化のことまでは判ってはいたようだが、陰陽道についての知識は皆無。やはり深く推理するのは難しかった。
「もういいじゃん。ね、早く帰ろうよぉ……ここ臭いしなんかイヤだし、いたって良いこと無いってばぁ!」
 思慮という言葉からはほど遠いピクシーが飛び回りながら叫んでいる。
「ハハ……まあそうだな。これで依頼は果たせたし……帰るか」
「はい。ですがその前に由美さん達と連絡を取られた方がよろしいかと」
「おっと、そうだな。あっちも心配しているだろうし……あ、由美? ああ、うん、終わったよ……え? 大丈夫、そんな急いで来なくても……うん、そこで待っててくれ……」
 携帯で通話しながら、武は仲魔達を引き連れて部屋を出た。そして部屋には怪しげな儀式の道具が散乱したまま残されてた。
 部屋には誰もいない。武達が出ていった数分の間は。
「……あれぇ? なにここ……」
 誰もいなかったはずの部屋に、突如人の声が響く。声はとても幼く、何処か無邪気で愛らしさが感じられる可愛らしい声だ。
「なによぉ、ここに「新しいお友達」がいるって聞いて来たのにぃ、誰もいないじゃない!」
 声の主は憤怒していた。小さな頬を膨らませ、金髪と青いワンピースを軽く揺らし大きく腕組みをする。そんなすねた態度も愛くるしいが、彼女のそんな姿を目撃する者はいない。
 そのはずだった。
「おやおや、どうしましたお嬢さん」
 驚いて振り返る少女。そこには誰もいないはずだった……しかしそこには、少女と同じ金髪をしたスーツ姿の青年が立っていた。
「誰?」
 少女の問いかけに、青年は曖昧に微笑むだけだった。
「お嬢さんはお友達を捜しているのかな?」
 質問には答えず、青年は逆に少女へ質問した。
「うん。ここに新しいお友達が来てるって「おじさん達」が言ってたから来てみたの。でも誰もいなかったの。もしかして、あなたが新しいお友達?」
 青年は目蓋を閉じ手首を横に振る。少女は青年の返答にガッカリしたと少々オーバー気味に顔を歪ませた。
「だけどねお嬢さん。私が代わりにもっと楽しい場所を教えてあげよう」
「ホント!?」
 瞳を輝かせ青年を期待の眼差しで見つめる少女。端から見るとまるで少女を誘拐するかのような誘い方だが、本人達にそんな自覚はない。
 少女はただ自分を楽しませる娯楽を追求したいだけ。
 青年は少女を「面白くなる」ように誘導するだけ。
 求める物は異なる二人。だがその方法だけは合致していた。
「付いてきたまえ。案内しよう」
「わーい、やったぁ!」
 忽然と、二人の姿は消えた。部屋に残されたのは沈黙と散乱した道具、そして多くの謎……この状況は、今度こそ長く続くことになる。


続きへ

戻る