由美とたまきの共通点は、「友達」が多いというところだろうか。由美は外見こそ少々不良っぽいが面倒見が良く、誰からも慕われている。またたまきはとても明るい性格で、誰にでも気軽に声を掛ける。そんな二人だから、級友として教室では良く一緒に話をしているし、しばしば一緒に遊んだりもしている。だが、それ以上でもそれ以下でもなく……二人は「級友」という域を超える関係ではない。話はするが互いのプライベートに踏み込むことはなく、一緒に出かけてもカラオケやウインドウショッピングで終わる。それ以上を求めないし、求められることもない。この二人の関係が特別なのではない。二人の周囲にいる「友達」は、誰も彼も似たような関係の者達ばかりだから。
 だからこそ、由美は悩んだ。あれで良かったのか……半ば強引にたまきと放課後の約束を取り付けたが、たまきは完全に引いていた……どう思われたのか、ソレが気がかりで授業に手が着かない。午前は淫夢を思い返してやはり授業を聞いていなかったが……由美は午後になって淫夢を思い返すことはなかった。たまきのことばかり気にしていたからなのか、それとも弁当と共に届けられた薬が効いているのか……いずれにせよ、由美は自分が淫夢に悩まされていたことすらすっかり忘れるほど、先ほどの、そしてこれからのたまきへの対応をどうすべきか悩んでいた。
 たまきには悪魔が見えている……それは彼女が「平凡な人生」から道を踏み外してしまう危険を伴っていた。自覚していなかった彼女にその危険を知らせることは重要だ。しかし知らせてしまうことでかえって危険を引き寄せてしまうことだってある。自覚がないのなら無理に知る必要はなく、このまま何も知らずにいられれば……そうすれば、「こっちの世界」に足を踏み入れることなく平穏無事な日々が守られる。その方が彼女のためだろう……だが何かの切っ掛けで悪魔が見えることを知ってしまったら? 悪魔の存在を知ってしまったら? 彼女に自覚が無くても他の誰かが彼女の力に気づいてしまったら? そう、今の由美のように……そんな人が由美のように善意で彼女と接触するとは限らない。どんな切っ掛けが、危険が、彼女を待ち受けているのか……そんなことは、誰にも判らない。判らないからこそ、悩むのだ。
 いずれにせよ、彼女に「力」があることは間違いなく、その事実はもう曲げられない。だからこそ、早めに事実を知り自分なりに対処を模索して貰った方がまだ安全のハズ……その為に、マダムは由美に悪魔召喚プログラムを手に入れてしまった人物を捜すよう依頼をした。そのはずだ。たまきがプログラムを手にしているかは別として、彼女が悪魔と関わる危険をはらんでいるのは間違いなく、それはマダムの依頼内容……つまりは「悪魔と関わりを持ってしまった人を助ける」という事に繋がるはずだ。少なくとも由美はそう解釈している。自分がたまきに伝えようとしていることはつまりそういうことで……何も間違ってはいない。いないはず……それでも自信が持てない。
 本当に彼女に事実を知らせて良いのか? 知らせたとして、彼女はそれを受け入れてくれるのか? 昼間の態度を見る限り……彼女は由美に引いていた。もしかしたら約束をすっぽかすかも。そうしたらどうすれば良い……色々な心配と疑問が次から次へと頭へ浮かぶ。そして明確な答えが出ないまま次の心配が、次の疑問が、どんどんあふれ出る。そんなことをずっと脳内で繰り返していた由美は、放課後の誰もいない教室で携帯電話を取り出していた。
『まあ……結局はそのたまきって娘が決めることだからな。俺達は警告を与える立場であって、彼女の将来を決める立場じゃないんだ』
 受話器の向こうには、自分が「こっちの世界」へ初めて誘った相手……武がいた。彼の場合はすでに悪魔と戦闘をしていたところで出会ったため、特に由美が悩むことはなかった。もう悪魔と出会い戦って「こっちの世界」に足を踏み入れていたから。しかしたまきは違う……悪魔の存在を知らないし、見えることの自覚もない。そんな彼女を本当にマダムの下へ案内して良いのか……由美は自分の悩みを武に打ち明けていた。
『いずれにしても、まずマダムに会わせる前にキミの方から色々と説明をする必要があるよな……いきなりマダムに会わせたら驚くだろうしさ』
「そうなんだけど……」
 まずその説明がちゃんと出来るかが不安だった。何をどう言えば信じて貰えるのか……パスカルを見せて「悪魔なの」と言ったって、犬にしか見えないのだから説明にならないし、パスカルが喋ったところで「腹話術か何か」と思われるかもしれない……ずっと頭の中に思い浮かべていた疑問を次々に武へぶつけていく由美。武はそれに一つずつ丁寧に答えていった。
『それならまずうちの事務所に連れてきなよ。ピクシーを見せれば納得するんじゃないかな?』
 自分が話題になっていると思ったのか、受話器の向こうでピクシーが騒いでいる声が聞こえてくる。そんなピクシーと彼女をなだめる武の様子が受話器越しにもかかわらず手に取るよう伝わってきた。そんなやり取りに、由美は思わずクスクスと笑い声を上げてしまう。
「そうね、ならそうさせてもらうわ」
『それが良い。後は……彼女の反応次第、じゃないかな? まあそんな気に病む必要もないと思うぞ?』
 人一人の人生を左右する、重要な役割をこれから担うというのに、武は気楽に答えている。彼にとってたまきは「由美のクラスメート」でしかなく、直接的な繋がりがない。だから由美ほど慎重にはならないし、責任感も感じていない。だから気楽なのだ……という訳でも、無い。
『事実は事実で……受け入れるしかないんだ。結局はその娘次第だし、俺達があたふたしたら、その娘が余計に悩んでしまうかもしれない……そうだろう?』
 重要なことだからこそ、伝える側がシッカリしなければならない。由美より一回り大人である武は、その心構えを身につけていた。
『まあ俺の時も……なるようになれ、だったからなぁ』
「それはオジサンが脳天気なだけじゃない?」
 人生が一変した当人が、まだ一ヶ月ほど前の出来事を「なるようになった」ですませている。彼の性格もあるのだろうが、受け入れてしまえばそんなものなのかもしれない……彼やたまきの場合なら……
『ひどいなぁ……そういや、キミの場合はどうだったの?』
 由美が「こっちの世界」に踏み込んだ切っ掛けを、武は知らない。今までは何となく訊く機会がなかっただけで深く考えていなかった武。だからこそ、何となく話の流れで尋ねた。ただそれだけのことだったが……。
「私の場合は……」
 そこから先、すぐに言葉が出てこない。電波を通してその「空気」が武にも伝えられる。
『いやゴメン、無理に話す必要ないから……とりあえず、今日はたまきちゃんだっけ? その娘の事だけ考えよう』
「うん……ごめんね、オジサン」
 いずれは話すときが来るだろう。話せるようになれる日が来るだろう。だが由美にとって、自分がこの世界に踏み込んだ切っ掛けは「なるようになった」ですまされるほど軽い物ではなかった。運命的なその日からまだ二ヶ月程度。傷を癒すにはまだ時間が必要だった。
『それじゃ待ってるから……じゃあ又後で』
「うん、またね……」
 携帯電話のモニターに通話時間が表示される。由美がパタンと音を立て携帯を閉じたのと、ガラッと教室のドアが開く音が響いたのは、ほぼ同時刻だった。

 人にはそれぞれ「性格」があり、それが寄せ集まって「個性」になる。そのような「性格」「個性」は時に長所となり、時に短所となる。さて、武の事務所まで連れてこられた内田たまきの「明るい」「好奇心旺盛」「楽天」といった性格や個性は吉と出るか凶と出るか……。
「うわ、なにこれかわいい!」
 動くだけに止まらず、羽ばたき飛び回り会話もする……そんなフィギュアサイズの妖精ピクシーを見て、たまきの第一声はコレだった。
「へぇ、これが……ふぅん……ねえねえ、触っても良いかな?」
「えっ、あ……や、優しくしてね……」
 由美や武が懸念していたような自体にならなかったのは幸いだ。しかしたまきは順応過ぎると言うよりは、危機感がなさ過ぎると言うべきか……可愛いと言われたピクシー本人ですら少々想定外だったのか、本来戸惑わせるはずの彼女が戸惑っていた。
「これも若さ……かなぁ……」
 20代半ばの男が言うセリフではないが、若さ溢れる女子高生を前にしては、こんな事も言いたくなるのだろう。
 ある意味、事態は好転しているとは思う。だがかえって不安も感じてしまう武。今はとりあえず、頭を掻きながら苦笑いを浮かべるのが精一杯のところ。
「すごぉい、本当に生きてるんだねぇ……これが悪魔?」
「え、ええ……」
 武同様、想定外の不安を胸一杯膨らませている由美。悪魔についての説明などは素直に信じてくれそうだが、問題はその後……悪魔の存在を軽視してしまうのではないか。おそらくこの不安は今度こそ外れないだろうと由美は顔を引きつり気味に笑った。
「その娘は悪魔の中でも妖精と呼ばれる種族なのよ」
 困っている人間二人をよそに、ベスは普段通り優しげな微笑みを見せながらたまきに自分達の事を説明していく。自分達を素直に受け入れつつあるたまきに、好感を持ったのかもしれない。悪魔であれ人間であれ、自分達のことを疑念無く受け入れる相手には好感を持つし警戒を解くのは当然といえば当然か。
「そして私が……こぉんな悪魔なのよ?」
 清楚な女性がクルリと身を回転されると、そこにはコウモリの翼と細長い尻尾を持った「いかにも悪魔」という格好のベスが。たまきだけでなくおおよその人間が想像する「女性の悪魔」そのままのベスは、悪魔の存在を説明するには打って付けなのかもしれない。
 ベスの変身に、たまきは目を見開いて驚いている。驚くと言ってももちろん恐怖におののいているわけではなく、壮大なマジックショーを見ているような、好奇心で輝く瞳をベスに向けていた。
「わぁ……本物の悪魔なんだぁ」
「私はリリムっていう、夜魔って呼ばれる種族……そうね、淫魔とも呼ばれるけど、お嬢ちゃんには判らないかな? エッチな悪魔って言えば判りやすい?」
 服装も、プロポーションも、全てが「エッチ」なベスだけに、言葉に説得力が増している。たまきはコクコクと頷いている。
「かわいい……っていうか、綺麗? すごいなぁ、これじゃ男の子が「ゆーわく」されちゃうの判る気がする!」
 ノリは雑誌のモデルに憧れるティーンズ、といったところか? たまきは実際に10代の女子高生なのだから、ある意味年頃の反応といえるが……相手が悪魔なのだと考えると、正常な反応とは少々言い難い。
「えっと、そっちのお姉さんも、その夜魔? 淫魔っていう悪魔なんですか?」
「フフッ、残念ながら彼女は違うの」
 もっとも「らしい」格好のベスとは違い、もっともイメージからかけ離れた姿の悪魔を見ながら、たまきが首をかしげている。
「彼女はエンジェル……天使なのよ?」
「えー、ウッソー! だって……天使ってもっとこう、ふわふわってした服着て、輪っかつけて……あっ、でも羽根はそれっぽい? へぇ、天使ってこんな格好してるんだぁ」
 M嬢のような拘束着を着た天使など、誰が想像する? たまきがエンジェルを見て天使だと思わないのは当然の反応だろう。
「あの……あ、あまり見ないで……そんなに見られると……恥ずかしいです……」
 主の命令で着ているこの服にも慣れかけていたエンジェルだったが、流石に見知らぬ人間に見つめられるのは慣れていない。天使らしからぬと言われ好奇心の目に晒される恥辱に、エンジェルは顔を真っ赤にして耐えていた。
「あれ? でも天使でしょう? 悪魔……じゃないんですよね?」
「いいえ、天使も悪魔なの。今あなたが思っている「天使」「悪魔」といった認識は「こっちの世界」ではちょっと違うから……良く聞いてね」
 本来は由美や武がすべき、悪魔に関する基礎知識の伝達。それをベスがほとんどを取り仕切りたまきへ判りやすく伝えていった。天使も悪魔の一種であること、悪魔がこの世に沢山出没していること、そしてそんな悪魔達と関わる人々が沢山いること……等を。
「じゃあ由美も……その「デビルサマナー」って奴なの?」
「私は違うの。パスカルは私の「仲魔」で……普通は契約を結んだ悪魔のことを「仲魔」っていうんだけど、でも私とパスカルはそういう契約は結んでないから……って、この話はまた後でね」
 由美は自分の事情は複雑だからと、説明を後回しにした。重要なのは、まず「悪魔が見える」という事実を受け入れることと、悪魔という存在を知ることにある……のだが、それはもうとっくにクリアしているようだ。ソレを踏まえ、由美は次のステップへと話を移していく。
「たまきは「悪魔召喚プログラム」っていうの、聞いたことある?」
 悪魔と関わるようになった人間の中でも、ここ最近は悪魔召喚プログラムが切っ掛けになった者が多い。名の通り悪魔を呼び出すためのプラグラムであり、由美達はこのプログラムの出所や流出先を追ってたまきのように悪魔と関わりを持った人物を捜していた。たまきの場合はその調査とは無関係に偶然知ることが出来たが、悪魔召喚プログラムと無関係かどうかは又別の話。念のため、由美はたまきにプログラムのことを尋ねた。
「ああ、なんか噂になってない? 名前だけなら聞いたことあるんだけど……」
 無造作にばらまかれたプログラムだけに、名前だけなら知っているという者はかなり多い。だがそのプログラムは「利用者」を選ぶため、仮に手に入れたとしても使いこなせる者はごく僅か。その為……
「でもそれって、企業が広めた広告か何かとか……そんな話じゃなかったっけ? ウイルスを使ってどーのこーのっていう……違うの?」
 どんなプログラムでも使えなければただのゴミファイル。たまきを含め名前だけ知っているような者はそのプログラムの噂自体がデマであったと思っている。そう思っている者が多いことから、悪魔召喚プログラムは「ありもしない噂」で上書きされ多くの人に認知されている。
「違うのよ……実在するの。私達はそのプログラムの出所と、所有者を捜していたんだけどね」
 由美はプログラムの簡単な説明と、自分達の立場をたまきに話し始めた。感嘆の声を上げながら興味津々と話を聞くたまきに、由美は抱えた不安を募らせていったが……飲み込みの早いたまきに感心もしていた。ただ好奇心が強いだけでなく、情報の吸収とその分析、解析が早くて的確。「悪魔が見える」という事の危機感をすんなりと受け入れていくたまきを見て、由美はその点「だけ」は安心していた。
 だが、そんな危機感を上回るのもやはり好奇心なのだ。
「ってことは、私がそのプログラムを使ってデビルサマナーになれば、私にもピクシーちゃんみたいな可愛い子を連れて歩けるんだ!」
 由美や武が感じていた不安がとうとう現実となった。
「いやだからね……無理にサマナーにならなくても……」
「えーっ、だって「折角」見えるんだから、サマナーになっても良くない?」
「でも悪魔と取引するのは危険なの。それに取引には色々リスクもあるし……」
「でもさ、探偵さんはそれで美人のお姉さん達と仲良くやってるんでしょ? それに由美だってパスカルちゃんみたいな良い子連れてるしぃ。なんかズルイよ」
「ズルイって言われても……私の場合は色々特別で……そもそもサマナーになったら命が危なくなるんだよ?」
「それって由美も同じでしょ? それにサマナーにならなくったって見えてるだけで危ない目にあうかも知れないなら、サマナーになった方が「特」じゃない?」
 特かどうかは別にして、同じ危険ならば自ら飛び込んで「術」を学ぶのも又防衛。言い方も目的も異なるが、たまきの言うことも一理ある。
「ま……本人がここまで言うなら仕方ないだろう、由美」
 好奇心に突き動かされた女子高生を説得するのは、悪魔との交渉よりも骨が折れるかもしれない……同世代の由美も手こずっているのに、異性で年が離れた武ではもうお手上げ。ここは無理に説得するよりは、本人がしたいようにさせ、それを見守る方が楽だし確実だろう。
「ふぅ……そうね、判ったわ。でも、たまきがサマナーになれるかどうかはまだ判らないからね。ちゃんとプログラムが使えるかは、私達じゃ判らないし」
「あ、そっか……使えると良いなぁ。ね、そのプログラムってどこで貰えるの?」
 使えると良いな、と口にはしているが、好奇心に輝く瞳は自分がサマナーになれると少しも疑っていない。早くサマナーになるべく、次のステップへ移りたいと身を乗り出して由美に尋ねている。
「とりあえず……私達がお世話になっているマダムに会ってから。この近くにあるミルクホール新世界ってお店知ってる?」
「知ってるけど……うわぁ、さっすが由美。あんなお店に行ってるなんて、おっとなぁ!」
「大人って……あなたもこれから常連になるんだからね、たまき」
「ってことは、私も大人の仲間入り?」
「いやだから……」
 あの由美がたまきの前向きすぎる明るさに押されるとは……たわいもない女子高生同士の会話に、武はどんな顔をすれば良いのか戸惑っていた。

 気づけば、外はすっかり暗くなっていた。たまきの部活が終わるまで待ってから事務所へ来たのだから当たり前だが、またここから別の場所へ向かうには未成年にとって好ましい時間ではない。目的地となる新世界も、喫茶店から飲み屋へと営業内容を変える頃。尚更未成年を連れて行ける時間ではない。
 だからこそ、大人である武は日を改めることを提案したが、子供であるたまきが待ちきれないと駄々をこねた。そんな子供だから連れて行けないというのに、だ。
「だったら……今日は私の家に泊まるって事にする? 明日から休みだしちょうど良いんじゃない?」
 女性の間ではよくある「お泊まり会」を名目にしよう、と由美が提案する。それはそれで構わないが、武は一つ心配があった。
「由美のご両親は大丈夫なのか?」
「家はいいの……いないから」
 由美の顔に、僅かな影が差す。訊いては不味かったことなのだと悟った武は、それ以上何も言えなくなる。だが何も言わなければ空気が余計に重くなり、気まずい雰囲気が周囲を包み始めた。
「そうだね。なんか色々聞きたいこともあるし、どうせなら本当に泊まっても良い?」
 そんな雰囲気を察してか、それとも元々の性格からなのか、たまきは妙になった空気をものともせず由美に尋ね返す。
「もちろん。それでどうする? 一度たまきの家に行く?」
「そうだねー。パジャマとか持って行きたいし、それにお母さんにちゃんと話をしないと」
 立場上保護者になるはずの武だが、当事者達でどんどん話が進み、口出しする隙もない。そもそも「お泊まり会」のノリが判らない武にはこれ以上どうすることも出来なかった。
「じゃオジサン、一度たまきの家に行ってくるね」
「判った……それじゃ新世界で待ってる」
 保護者というよりは「この時間帯の新世界へ入る為のパスポート」的な役割になった武は、大人しく二人が戻ってくるのを待つしか選択肢がなかった。

 流石に学生服のままでは問題があると思ったのだろう、たまきはもちろん由美も一度帰宅して私服に着替えていた。そんな二人を新世界の店内で待っていたのは、武だけではなかった。
「お、ようやく来たな」
「由美ちゃぁん、コッチコッチ!」
 武と共にテーブルを囲んでいるのは、好奇心を職業にしている二人だ。
「あれ、聖さんにタ……葵鳥さん。どうしたんですか?」
「今何か言い間違えなかった? 由美ちゃん……」
 朝倉の指摘に苦笑いしつつ、由美はたまきを伴ってテーブルに近づいた。
「ちょっとさ、色々聞きたいことがあるんだけど……その娘は?」
 店の雰囲気にドギマギしているたまきは、怪しげな服装の男性に視線を向けられ照れ笑いを浮かべている。好奇心はあってもこのような店に入ろうとは思いもしなかったたまきは、「大人の世界」へ飛び込んでしまった自分がこんな時どう対処して良いのか何一つ思いつかない。ただ曖昧に笑うのが精一杯だった。
「この娘は内田たまき。私のクラスメート」
「はっ、初めまして……内田たまきです!」
 緊張してます、とまるまる判るほどガチガチになりながら、それでも元気いっぱいに挨拶するたまき。そんな若々しさは店の雰囲気にはそぐわないが、しかし大人二人が抱いたたまきへの印象はすこぶる良かった。
「まあそんな緊張しなくてもいいぜ? 俺は聖。で、こっちのお嬢ちゃんがタヱちゃん」
「葵鳥! もう、初対面の娘にまでその名前出さないでよ……朝倉葵鳥よ、よろしくね」
 聖に一言文句を付けながら、朝倉は名刺を取り出したまきに差し出した。名刺なんてものを受け取るのは初めてだったたまきは、どう受け取れば良いのか一瞬悩んだが、素直に両手で名刺を受け取っていた。
「……えっ、帝都新報の記者さんなんですか! すごぉい……っていうか由美ってこんな人とも知り合いなんだね」
「ま、まあ……色々あってね」
 大げさすぎる気もするたまきの反応に、由美は苦笑いする他ない。
「ついでに聖さんはインチキ雑誌のライターなのよ」
「インチキは酷くない? 月刊妖って知らないかな? アレの記事を書いているんだ」
「あっ、知ってます! あのホラー雑誌ですよね?」
 あまり一般的に知られている雑誌とは言い難いマニア誌だが、友達同士の話に「心霊スポットの特集が……」といった話題でその名が持ち上がったのを覚えていたたまき。むろん中身まではよく知らないが。
「そそ、それそれ。いやぁ、ようやくうちの本もメジャーになってきたか?」
 ソレは無い、と二人の女性が顔の前で手を振っている。
「で……その自称メジャー雑誌のライターさんと、敏腕記者さんがどうしたんですか? オジサンとり囲んで……」
 由美の疑問に答えることなく、聖がニヤリと不気味な笑顔を向ける。気づけば、朝倉も不敵な笑みを浮かべ由美を見ていた。
「いやぁ、ホント良く来てくれたねぇ由美ちゃん」
「お友達も一緒だなんて、本当に助かるわ。うん、よく連れてきてくれたわねぇ」
 二人の態度からして、あまり自分によろしくないことが起きようとしているのを察した由美。助けを求めようと武を見ると、ただ苦笑いを浮かべすまなそうにしているだけだった。
「なっ……なんですか?」
 戸惑う由美を強引に聖が席に着かせる。同じように朝倉がたまきを席へ誘うが、そちらは武によって防がれてしまう。
「悪いけど、この娘はちょっとマダムに用があってね……悪いな由美。一人で頑張ってくれ」
「頑張れってどういう……え、え?」
 状況が飲み込めていないたまきを武が店の奥へと誘い、同じく全く自分の置かれた立場を理解していない由美が怪しげなセールスマンのような営業スマイルに囲まれ戸惑っている。
「いや大したことじゃないんだよ。由美ちゃん、軽高生なんだよね?」
「え? うん、そうだけど……」
 軽子坂高校、略して軽高。由美もたまきもそこの在学生。だからこそ、二人の記者は由美がこの店に来ると武から聞きずっと待っていたのだ。武からその話を聞いていなかったとしても、二人は元々この店の常連客。由美が来たらラッキー、来なくてもココでなら多少は情報が得られるかもと長居するつもりで来ていたのだが。
「最近、変な噂とか聞かない?」
「変な噂?」
 漠然としすぎる聖の問いかけに、由美は首をかしげながらオウム返しする。
「ほら、よくある「学校の七不思議」みたいな……そういう話とか」
 朝倉の質問は多少具体的にはなったが、それでもやはり漠然としていた。そんな質問に、それでも答えてあげようと由美は腕組みし眉間にしわを寄せた。
「七不思議って言われても……なんでそんな話が?」
 そもそも、なんで二人がこんな話を急にし出したのか、それこそ不思議な事ではある。質問に答えるためにも、由美は二人が聞きたがっている真意と経緯が知りたかった。
 二人は顔を見合わせ、問いかけから間を開けた。その雰囲気に由美は不安な気持ちを抱えるが、同時に二人が直接尋ねたがらない真意が見えてきた。
「もしかして……自殺した生徒のこと?」
 黙って二人が頷く。そして次の反応を伺っている二人。記者である以上、記事になることを聞き出したい二人だか、彼らにだってそれなりに取材対象を思いやる気持ちはある。しかも相手は顔なじみ。もし被害者と何らかの繋がりがあったらと……直接問いかけるのを控えていた。むろん事前に武へ由美と関わる人物かどうか尋ねていたが、「たぶん違う」という曖昧な回答しか得られていなかったのだ。
 とはいえ、それでも二人は記者。関わりがあろうと無かろうと、訊けることは聞き出そうと待ちかまえていたわけだが。
「大丈夫です、別に友達でも何でもない……というか、こう言うのなんだけど、気に入らない奴だったから……同じ2年だけどクラスも違うし」
 いくら気に入らなかったからといって、故人を悪く言うのは気が引ける。とはいえ本音は「どうでもいい奴」と思えるくらいには嫌っていた由美。言葉を選びながらも、二人が納得する答えを口にした。そんな由美の返答に、ホッとした表情を浮かべる記者達。だが由美は更に眉間のしわを深めていた。
「でもそれを、なんで二人が訊きたがっているんです?」
 一週間ほど前、軽子坂高校の生徒が一人自殺した。校内では大事として全校集会も開かれた事件だが、世間一般ではそう大きなニュースではなく、事実ニュース報道はなかった。男子生徒の自殺「程度」なら、大きなメディアが取り上げるほどでもない……そんな時代なのだ。もちろん地域住民には広まったニュースではあるが、高校に直接関わりのない者達にしてみれば「そんなことがあったんだ」で終わってしまう話だ。
 だが、その自殺に「付加価値」があるなら話は別。二人の記者が聞きたがっているのは、まさにその付加価値なのだ。
 自殺を強引にオカルト絡みにしようというのなら、まだ聖が訊きたがるのは判る。だが仮にも新聞というメディアを扱う朝倉まで訊きたがるほどの事件かどうか……学校に自殺した生徒がいる、程度しか知らない由美は、今回の事件がそこまで大事なのかと心配になっていた。
「でもいじめとかじゃないと思いますよ? むしろいじめる側だったしアイツは……」
 新聞でも取り上げるニュースになるとしたら、やはりいじめ問題だろう。そう思った由美は、訊かれる前に答えたのだが……自殺した生徒がどんな素行だったかはとうに調べ上げている二人。由美の言葉に知っていると微動だにしなかった。
「そうじゃなくてな、まあ……ぶっちゃけて言うと、その生徒、行方不明になる直前「妙なこと」を口走ってたらしいんだわ」
「妙なこと?」
 まだ注文もしていなかった由美に、コーラが届けられる。気を利かせた店長からの差し入れにストローをさしながら、由美は聖に問い返した。
「由美ちゃんは自殺した彼がどうやって自殺したかは知ってる?」
「飛び降り自殺だって聞いたけど……」
 今度は朝倉からの質問。由美は誘導されるまま素直に答えていく。
「その時な、そいつが……「悪魔が来た」とか「助けてくれ」とか、そんな事を口走ってたとか……な? 自殺する人間が言うセリフじゃないだろ?」
「悪魔?」
 オカルトライターが聞きたがる理由が由美には理解できた。そして……由美も、この事件が人ごとではなくなっていた。悪魔が関わるとなれば、もう放ってはおけないだろう。
「彼のことを調べると……どうも自殺するような動機が見あたらないのよね。由美ちゃん、学校で……悪魔だとか、そんな噂はなかった?」
 なるほど、それでさっきの質問……由美は朝倉の質問で全体像が見えてきた。
「特にそんな噂は……聞いてないかなぁ」
 カラカラとストローで氷をかき混ぜながら、由美は「嘘」をついた。
 思い当たることが少しある。だがそれが生徒の自殺に結びつくかはかなり不透明だし、何より……悪魔が関わるのなら、記者にこれ以上踏み込まれたくはなかった。もうこれ以上は知らないよと言いたげに、由美はストローに口を付け黙っていた。
「それならさ……狭間偉出夫(はざま いでお)って生徒のことは知ってる?」
 聖からの質問に、由美はやっぱりなと口元を苦笑気味につり上げた。思い当たることが、記者の方から告げられたのだ。
「知ってるというか、学校中で知らない人はいないでしょ? 聖さんもたぶんもう知ってると思うけど」
 由美とは同学年で、自殺した生徒の同級生。そして、自殺した生徒がいじめていた生徒でもある。
「頭良くて、いつも学年トップ。だけど自分だけ真っ白な制服自前で作っちゃってそれ着てくる変な奴……だからかえっていじめの対象にされてた。私が知ってることなんて、たぶん聖さん達が知ってることと大して違わないと思うよ?」
 加えて、他の生徒や先生まで見下すような言動を繰り返す生徒だったため友達はおらず、誰からも爪弾きにされていた狭間。そんな生徒だったからか、だれも彼がいじめられていても助けようとはしなかった……流石に由美は見かけたら声を掛けるくらいはしたが、深く関わろうとしなかった。厳密に言えば、お節介な由美が大丈夫と声を掛けても返事一つせず、むしろ由美をあざ笑うかのような視線を向けた……そんなことがあったから、由美もいじめに対して非難の声は上げても狭間を助けようとは思わなくなっていた。そこまで聖達に話すことはなかったが、しかし同様の話はおそらく二人とも知っているだろうと由美は考えた。
「その狭間って生徒が……なんか悪魔がらみの儀式をしてたとか、その手の宗教に関わってるとか……そういう話はない?」
「あるいはその……薬物に手を出してるとか、暴力団と繋がりがあるとか……」
 聖はあくまでオカルト絡みへ、朝倉はもうちょっと現実的な方へ、自分が「記事にしやすい」話を聞き出そうと質問を由美へぶつけてくる。
「どっちも無い……っていうか、本当に何も知らないのよ。正直関わりたくもないし……」
 思わず本音が溢れる。由美が不快感を示したことで、二人の記者はこれ以上は無理と諦めたようだ。
「悪かったね。まあこれが俺達の仕事だからさ」
「ゴメンね由美ちゃん」
 謝罪する二人の態度は少々軽いが、由美も不快にこそ感じてはいても別に傷ついたわけでもなく、軽く二人の謝罪を受け入れた。
「別にいいですよ……ああ、たまき……さっきの娘に訊いても私と変わらないと思いますよ?」
 念のため、友達には触れてくれるなと釘を刺す。由美に言われてしまっては、「ここで」店の奥へと行ってしまった女生徒を問い詰めるのは難しい。判っていると二人は由美に返答した。
「そういえば由美ちゃん。あのたまきって由美ちゃんのお友達は、マダムになんの用なの?」
 むしろ先ほどの質問よりも答えづらい質問……由美はひとまず「さあ?」と首をかしげて朝倉の質問をかわして「嘘」を思いつく時間稼ぎをした。
「オジサンが会わせたいんだって……私も詳しくは知らないんだけど」
 元々由美は嘘をつくのが苦手だ。先ほどついた嘘ならまだ「とぼける」程度で良かったが、たまきのことは適切な嘘が全く思い浮かばず、結局武に丸投げしてまたとぼけた。
「おいおい……なんか怪しいなそれ」
「だよねぇ……マダムに会わせたいって、どんな用事よ?」
 ああ、これは不味い展開かも……由美は焦る気持ちをコーラで落ち着かせることしかできない。
「おっと、ご当人が来るぞ」
「金清武、マダムと少女の密会疑惑……さぁて、たっぷり訊きましょうか」
 もう由美に出来ることは、笑うだけである。

 武は結局、アルバイトの面接という「嘘」をでっち上げてその場を乗り切った。たまきが「ノリ」で武に話を合わせたので、その嘘はすんなりと通った。むろん本当にたまきがアルバイトをする訳でもないため「時間の都合が付かなくて不採用になった」と話を締めている。ただそれで話の終わる敏腕記者達ではなく……「金清武ロリコン説」が出始めたところで、武達は逃げるように店を後にしていた。
「アハハ、オジサンも災難だったね」
「災難じゃねぇよ……つか、俺がいないところで俺に話を振るなよなぁ」
「でも探偵さん本当にロリコンなのかって、心配しちゃいましたよぉ」
「勘弁してくれよ……」
 まだ笑っている由美とたまき。それとは対照的に、武はずっと苦い顔を続けていた。そんな三人に、店の外で待機していたパスカルと連絡を受けて事務所から出て来たベスが加わる。
「お疲れ様です。どうでしたか?」
「オジサンがロリコンだって事が判明した」
「ちげぇだろ……」
 まずは冗談で場を和ませた由美だったが、しかしそんなことばかりを言ってもいられない。
「オジサン……聖さん達から、話は聞いたの?」
「ああ……ちょっと俺達も調査が必要だな」
「え、なになに? 探偵っぽいことでもするの?」
 事情を掴めていないたまきははしゃいでいるが、彼女もそんな立場ではいられなくなる……はずだ。
「たまき……あなたデビルサマナーになるんでしょう? あまり浮かれてばかりもいられないからね?」
「うん……ゴメン由美」
 調子に乗りやすいが基本素直なたまきは、由美の忠告にシュンとなりながらも聞き入った。
「マダムの話だと、サマナーとしての素質は俺以上かも……ってことらしい。だけど素質だけでやっていける世界じゃないからね? まあ俺もまだ新人だから偉そうなこと言えないけどさ」
 1ヶ月先輩の武が、2ヶ月先輩の由美に続けて忠告する。
「判ってる。でも由美がいてくれるから大丈夫でしょ?」
「そんなに私を頼られても……」
 幸か不幸か、由美とたまきは同級生。マダムからたまきの面倒は由美が見るようにと言付けを貰っていた。むろんマダムに言われずともそうするつもりでいた由美だったが、だからといって全面的に頼られるとそれはそれで困ってしまう。
「さてついた。ココが業魔殿……サマナー達が色々とお世話になる施設だよ」
 サマナーとしての出発点ともなる場所。たまきはここで自分用のCOMP……召喚プログラムを扱うための機器を受け取るために訪れた。

 受付嬢のメアリに案内され、地下へと降りていく一同。内装から階段の仕掛けから、たまきはまるでレジャーランドを訪れたかのようにはしゃぎ、それを由美に咎められる。同級生でありながら先輩後輩の間柄になった二人の関係は、こうして徐々に決まりつつあった。
「業魔殿にヨーソロ……」
「ヨーソロ?」
 船乗りの言葉に馴染みのないたまきに、ヴィクトルのダジャレは通じない。そんな反応に動じることなく誰に対しても言い続けるヴィクトルは、頑固なのかお茶目なのか判断が難しい。
「そちらのお嬢さんが、新たに悪魔と契約を結ばんとする者か……」
「はい、よろしくお願いします!」
 見た目はとても怖そうなヴィクトルだが、たまきはそんな彼の外見に全く臆することなく元気いっぱい挨拶する。場の雰囲気を顧みず。
「……元気なお嬢さんだな。さて、マダムから話は伺っている……付いてきなさい。君にあうCOMPと、装備をいくつか譲るとしよう」
「はーい。やった、これでサマナーになれるんだね」
「武、キミも来たまえ。先輩として助言してやると良い……メアリ、残ったお嬢さん達を待合室まで案内してさしあげろ」
「畏まりました……由美様、ベス様、パスカル様、どうぞこちらへ……」
 再び由美と武が由美から離れ、別行動に。由美達はメアリに案内されるまま、待合室へ移動した。
「そうだ……ベス、今日はありがとう。お弁当と、それから……薬」
 待合室のソファに腰掛けながら、由美は色々と手配してくれたベスに礼を述べた。その時になって、ようやく由美は淫夢とその為に悩まされた午前中のことを思い出していた。
「別に大したことではありませんから……むしろパスカルが私達を頼りに来てくれたことが素直に嬉しいですわ」
 未だパスカルに警戒されていることをうっすら感じ取っていたベスは、そう告げるとパスカルへ向けニッコリと微笑んだ。パスカルはといえば、そんなベスを直視できないのか僅かに視線をそらしている。
「それに薬は……いずれお渡ししようと前々から準備しておりましたから」
 出された紅茶に口を付けながら切り出すベスの表情からは、笑みが消えていた。
「ちょうど武様もおりませんし……あの薬について、お話があります」
 由美も聞き出そうとしていた、薬のこと、そしてその効果と……それが必要だとベスが感じ取っていた理由。聞きたい話をベスから切り出してくれたが、しかし由美はその話をされることに戸惑いを感じていた。
「……いずれにせよ、パスカルにも知っていて欲しい話ですし……メアリさんは口が硬いので心配入りません」
 迷っている由美に、今しかないとベスが強引に話を進め始めた。
「あの薬は媚薬と逆……つまり欲情した心を静める効果があります。今回は一つだけお渡ししましたが、あの薬は出来る限り常備しておいて下さい。今後おそらく定期的に服用することになるはずです」
「ちょっと……どういう意味よベス?」
 まったく状況を理解していないパスカルは、突然告げられたベスの言葉に……由美の状況に、驚きを隠せない。そんなパスカルをよそに、ベスは由美に問いかける。
「由美さん……あなたがどうしてガーディアンを宿すようになったのか、その事はお聞きしません。ですがこれだけ……あなたは自分のガーディアンがどんな悪魔なのか、ご存じなのですか?」
 悪魔をガーディアンとして自分の身に宿す人間は、かなり珍しい。そのような術を受け継いでいる家系だったり自ら書物を読みあさり身につけない限り、通常あり得ない。悪魔召喚プログラムが出回っている今、サマナーよりもその存在は珍しくなっている。にも関わらず由美は「偶然」ガーディアンを宿した。そうなるまでの過程に何かがあったのは明白で……そこを聞き出すほどベスは無神経ではない。だが由美自身に関わることであるため、必要なことは聞かざるを得ない。
 由美は首を横へ振った。そもそもガーディアンという言葉自体知らずに育っていた由美だ。「悪魔が守ってくれている」「そのおかげで魔法が使える」くらいの認知しか持ち合わせていなかった。
「やはりそうでしたか……」
 肝心なことを伝えないとは困った人だ……ベスは一人、由美にとっても武にとっても「発端」となった「美女」を思い浮かべ溜息を漏らす。何も知らなかった由美にガーディアンのことを教えたのは、由美の「今後」について相談に乗った者と同一のハズ……何も聞かされていないが、自分の推測に間違いはないだろうとベスは確信していた。そして何故告げなかったのか……その理由も薄々感づいている。彼女にしてみれば「ちょっとしたイタズラ」かもしれないが、本人にとっては大問題になるのは判っていたのに……ベスはもう一度溜息をつき、由美へ真実を告げ始める。
「由美さん……あなたの守護をしている悪魔は、「アルプ」という……私と同じ夜魔です」
 夜魔……その説明をベスは「淫魔」「エッチな悪魔」とたまきに伝えていた。つまり由美を守っている悪魔は、ベスと同質の悪魔だと……そう告げられれば色々と納得することも多い由美だが、しかしだからといってそれで落ち着けるはずもない。
「それって……つまり……」
「はい。おそらくここ最近淫夢に悩まされていたと思います……それはアルプが見せていたものです」
 アルプはドイツに生息する夜魔。吸血鬼としての側面もあるが、女性に悪夢を見せる悪魔としても知られている。その為「夜魔」と分類される悪魔なのだが、しかし「淫魔」という訳ではないのだが……。
「ガーディアンが人の身に取り憑くのは、悪魔が肉体を乗っ取ろうと憑依するのとは違います。しかしガーディアンとなる悪魔の影響を受けることになりますから……魔法だけでなく、様々な「副作用」も受けるはず……」
「それが……その、エッチな気分に……なっちゃうって、事?」
 黙ってベスは頷いた。アルプの詳細は判らない由美だが、原因がその悪魔にあることだけは間違いないのだと由美は理解した。
「ガーディアンについては、これ以上私から申し上げることはありません。コレより先は由美さん、あなた自身の問題ですから……パスカルとよく相談してください」
 同じ夜魔だからこそ、由美のガーディアンに気づいたベス。しかしこれ以上は当人の問題。どうしてガーディアンを宿すことになったのか、そこが判らない限りベスにこれ以上のアドバイスは出来ない。再びベスに相談を持ちかけるにしても自分達でどうにかするとしても、それは由美とパスカルが決めることだ。
「薬は直接「歯車堂」で買い求めても良いですが、恥ずかしいようでしたら私が手配します」
 歯車堂はここ業魔殿や探偵事務所がある矢来銀座のアーケード街にある薬局。古風な店構えで、悪魔に関わる者達が特殊な薬を求めて訪れる店でもある。もちろん表向きは漢方薬を扱う店としても営業しているが。
 由美は年頃の女性だ。やはり自分が淫夢に悩まされているとは出来る限り人に知られたくない。既に知られているベスに薬の調達をお願いするのが、由美の精一杯だろう。
「ベス……本当に、ガーディアンが原因なの?」
 黙って聞いていたパスカルが、疑惑を持ってベスに尋ねる。
「ちょっとパスカル……」
 それを窘める由美だが、言葉に力がない。由美も……半ば疑っていたから。
「ガーディアンが干渉しているのは間違いありません。ですが薬を飲めば症状は抑えられるはずです。いずれにせよ、ガーディアンをどうされるかは……お二人次第です」
 ベスの言葉に嘘はない。ただ、隠していることがあるだけだ。
 まさか、ベスの口から言えるはずもないのだ……悪夢が淫夢になっている原因が、武にあることを。そして……昨夜、自分達の「行為」を由美に「見られていた」のを知っていたなどと……。
「おっまたせー! どう由美コレ。格好良くない?」
 タイミングが良いとも悪いとも言える……そんな頃合いに、ムードメーカーが待合室へやって来た。
「たまき……なにそれ?」
「アームターミナルっていうんだって。で、このでっかい眼鏡が画面になるんだって」
 少女の左腕には黒く大きな籠手のような機械が収まっている。その機械からコードで繋がった大きなゴーグルが首にかけられていた。
「それじゃ目立ってしょうがないじゃない……携帯電話型とかにしなかったの?」
「俺もそっちを勧めたんだけどねぇ……こっちが良いってさ」
 呆れた様子で、由美の質問に武が代わって答えた。
「だってこっちの方が格好良いじゃない? こう、なんていうか、「いかにも」って感じで」
 なにをさして「いかにも」なのかは……当人のセンスなのだろう。
「もう一つ、でっかい銃みたいなのもあって、それも格好良かったんだけど……」
「俺が止めた。あれは持ち運びも大変そうだし……まあコレもコレでどうすんだって話だけどさ……」
 どうやらCOMP選びで一悶着あったようで……その光景が、場にいなかった由美達にも想像できていた。
「それとね、ホラ、これも貰ったの」
 唐突に、たまきがスカートをめくり中を周囲に見せ付けた。
「ちょっ、だからはしたないって!」
「ええ? だって別にパンツじゃないから恥ずかしくないモン……ねぇ由美?」
 武が慌ててたまきの手を止めるが、当人はしれっとしている。スカートの中はハイレグアーマー……そういえばこんな事をして怒られた人が他にもいたと……由美はようやく、自分がしたことの恥ずかしさを認識していた。
「騒がしいお嬢さんだ……これで本当にサマナーになれるかどうか……」
 遅れて、ホテルの支配人が騒がしい待合室を訪れていた。
「楽しそうですね……」
 感情のよどみなく、メイドが主人の言葉に反応する。
「楽しそう……か。そうだな、そうかもしれん……」
 悪魔の存在を認めてはいるが、その恐ろしさをまだ何も判っていない……そんな少女がデビルサマナーになった。その是非はともかく、これだけ明るくサマナーとして旅立とうとしている者を、長い長い年月を経て豊富な経験を宿したヴィクトルですら他に知らない。それを「楽しそう」と一言で凝縮するにはいささか乱暴だが、しかしたまきにはそれが似合っていた。
 そんなたまきを、不安な気持ちいっぱいのまま見守る由美。彼女の今後ももちろん不安だが、自身の不安、そして母校で何かが起き始めている不安……今日という一日で様々な不安材料が浮き彫りになった由美には、もう淫夢を見る余裕もないだろう。淫夢すら楽しい夢だったと思えるような現実が、これから待ちかまえているのだから……。

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